竜騎士伝説

Dragon Knight Saga

第9章 東への旅 その4

「でもさ、呪文か何かで、一気に剣の山まで行くってことはできないのか?」
 テーラ川に沿った細い街道を歩きながら、ヤンはクレアに尋ねた。カナトーセの街を出てから、すでに三日がたっている。
「できないわよ。私の呪文は一回行ったことのある場所にしか行けないの。剣の山なんか見たこともないし。まあ、エンターナの風で運んでもらうって方法もあるけど…」
 クレアの表情が暗くなった。
 突然名前を呼ばれて、エンターナが不思議そうな顔をする。
「でも、悠久の山脈の向こう側、エスミでは、闇の力のために精霊がいないっていうし…」
「そのための精霊の玻璃瓶ってわけだからな…」
 クレアの言葉に、ヤンが天を仰ぐ。
 精霊の玻璃瓶の中には、精霊をとじ込めることができる。精霊の存在しないというエスミに精霊をつれていくには、この方法しかないのだ。
 ヤンの肩をジュヴナントがポンと叩いた。
「ま、慌てることはないさ。他に方法がないのなら、これが一番いい方法ってことだろ?」
 その言葉に、ヤンがきまり悪そうに頭を掻く。
「ちぇっ、分かったよ」
 そう言って、ヤンは舌を出してみせた。

「あれがグリトア=ヴァナント…」
 悠久の山脈の峰々の中に埋もれるかのようにしてグリトア=ヴァナントは存在していた。その向こうには、雪の三姉妹<ミ=シュラナ=デ=ダリテ>が険しい稜線を見せている。
「きれいなもんだ…」
 ヤンがあきれたように言う。
 雪の三姉妹とは、悠久の山脈の中でもっとも高い三峰のことを指す。遥かに見上げる峰々は、その頂に白く万年雪を冠していた。三つの峰が重なりあうようにして林立する様は、壮観であり、神秘的ですらある。だが同時に、これらの山々は決して人を寄せ付けない厳しさをも有しているのだ。
 大渓谷<グリトア=ヴァナント>は、その雪の三姉妹から少し南に下った所にあった。それは、人が越えることのできる悠久の山脈唯一の峠だと言われている。
 かつて、エスミにも多くの住民が暮らしていた頃、この峠のあたりは交通の要所として大いに栄えていたという。しかし、今となってはその面影はどこにも残っていない。
 とうとうここまで到着したのだ。この峠を越えれば、そこはもうエスミの地であり、それはヴェンディとはまったく異なった世界なのだ。
「でも、そう簡単には行かせてもらえないみたいよ」
 クレアがそう言って雷帝の杖を構えた。
「だな」
 ヤンが答える。目は鋭く前を見つめたままだ。
 ジュヴナントをはじめ、一行もそれぞれ無言で武器を取り出した。
 巨大な姿が彼らの視界に映る。
 岩のようなごつごつした体。手には巨大な棍棒を握っている。冷たい目が高いところから彼らを見下ろしていた。
 トロル -
 エスミに住むという怪物。その巨体と怪力で、出会うものすべてを薙ぎ倒す。しかも、固い皮膚は普通の鎧よりも頑丈ときている。だが、人が滅多に出会うことはない。
 しかし、トロルは一体だけではなかった。まるで、グリトア=ヴァナントを塞ぐかのようにして、次々と四体のトロルが姿を現した。
「珍しいわね。トロルが群れてるなんてさ」
 トロルを睨みつけながら、クレアが苦笑した。

「はぁっ!」
 クレアの手から火球がトロルめがけてまっすぐに走った。
 トロルの足下に閃光がきらめき、トロルの体が大きく揺れる。
「まったく、気が早いんだから。ひとこと言ってからにしてくれよな」
 そう呟きながら、ヤンが弓に矢をつがえる。
「はっはぁーっ! やっと出番だぁ!」
 斧をふりかざし、キリアーノが走る。
 エンターナとシンフィーナは、無言でトロルを睨みつけた。緑を破壊する者、闇の者を許すことはできない。
 戦場に激しい風が舞った。
 ジュヴナントの髪を風がなぶっている。
『結局、戦いに勝つしかないのだな…』
 悲しみ、憤り…。いろんな感情が一気に体の中を突き抜けていく。
『いまさら、きれいごともないか…』
 ジュヴナントが無言で剣を抜いた。
 そして、それを合図として、東へ向かう旅の最初の戦いの幕が切っておとされたのである。

「だぁーっ!」
 キリアーノが先頭のトロルの足に斬りかかった。
 固い皮膚をものともせず、黒の斧はトロルの足を大きく切り裂いた。緑の鮮血がほとばしり、痛みでトロルが片膝をつく。
「いけっ!」
 ヤンは引き絞っていた矢を放った。
 黄金の隼の弓から放たれた矢が、トロルの目に突きささる。突然、視界を奪われて、思わずトロルは両手を地についた。
「そこだっ!」
 キリアーノの斧がトロルの首筋にあてられた。
 トロルの首がゴトリと落ちた。

「トロル…」
 エンターナが何やら呟くと、トロルはその動きを止めた。いや、正確には動けないのだ。エンターナの操る風が、トロルの動きのすべてを封じ込めていた。
「魔の者よ、…闇に還れ」
 静かな調子でシンフィーナが宣言した。
 彼女のまとっている霧の羽衣の裾がふわりと舞ったかと思うと、ぼぅっと霞んで広がっていく。細かな水の粒 - 霧。霧はトロルの体のまわりを取り囲んだ。
「さようなら」
 シンフィーナは静かに手を胸の高さまで上げ、そして、一気に振り下ろした。
 エンターナの結界の中、トロルの体が音もなく崩れさっていった。

 ガゴッ…
「うわっと」
 トロルの棍棒が地をえぐる。それを、トットは紙一重でかわしていた。翼の靴のせいか、体が軽い。本気でかわすつもりならば、いくらでも余裕をもってかわすことができる。だが、今は時間をかせがなければならないのだ。トロルの攻撃は執拗を極めた。
「トット、もういいわよ。下がって」
 後ろからクレアの声がする。待っていたとばかりに、トットはトロルから大きく離れた。
「いっけぇーっ!」
 同時に、クレアが雷帝の杖を振り下ろす。
 トロルはクレアを見、そして恐怖した。
 一瞬後、巨大な雷光の渦がトロルの体を包みこんでいた。

 ジュヴナントはトロルと対峙していた。
 のそりとトロルが歩を踏み出す。
「いくぞーっ!」
 剣を構えなおすと、ジュヴナントはトロルに向かって走った。同時に、トロルが棍棒を振り下ろす。だが、ジュヴナントは地を蹴り、棍棒を避けた。そして、もう一度跳ぶと、トロルの腕を踏み台にし、さらに高く跳んだ。
 ジュヴナントの体が宙に舞い、そのまま最上段から剣を振り下ろす。
 トロルが顔を上げる。
 ザシュッ…
 だが、その瞬間、ジュヴナントの光の剣はトロルの脳天を真っ二つに切り裂いていた。
 大きな音を立ててトロルが崩れ落ちる。
 ジュヴナントはふぅと息を吐くと、剣を鞘に収めた。残りのトロルもすでに倒されている。
「行こう」
 静かにジュヴナントが言った。
「悠久の山脈の向こう、エスミへ!」

- つづく -