最初に白煙の中から抜け出したのはジュヴナントだった。
煙のせいで、目はほとんど開けられない。
だが、もしものために腰の剣を抜いておいたのが幸いした。
すぐさま飛びかかるオーク。
ジュヴナントは、ぼんやりとした視界の角にかろうじてそれを認めた。
「…くっ!」
反射的に剣をなぐ。
「がぁっ…!」
ジュヴナントの剣は、ちょうど刃を振り上げたオークののど元を切り裂いた。
血しぶきを上げて、どうとオークが地に倒れる。
それを見た他のオークたちの動きがとまった。慎重にジュヴナントのまわりを取り囲む。ジュヴナントは目をこすりながら、剣を構えなおした。
相変わらず目はよく見えない。何がおこったのかも分からない。だが、自分がオークの大群に囲まれていることは明らかだった。この状態では、逃げだすのは不可能だろう。
オークたちは少しずつ間合いをつめてきていた。いつになく慎重だ。
『まわりはオークばかり…か。なら…』
待っていても勝機はないのだ。
ジュヴナントはすっと身を落とすと、オークたちの中に突っ込んだ。かすむ目の端に入る影に向かって、片端から剣を振るう。
何人かのオークが、たちまちの内に斬り殺された。オークの間に動揺が走る。
その様子をディアグは苦々しげに見つめていた。
「何をてこずっている! 相手は一人だぞ!」
ディアグが叫ぶ。だがそれは、オークの混乱に拍車をかけただけだった。
「くっ。きさまら、退け!」
ディアグは、腹立たしげに腰の長剣を抜くと、ジュヴナントに駆け寄った。
「だぁっ!」
上段から剣を振り下ろす。
「…っ!」
ジュヴナントはかろうじてそれをかわした。
目はいくらか見えるようになってきていた。
鉄仮面をかぶった異形の小柄な男。それがディアグに対する第一印象だった。
再び剣を構えて正面から向き合う。
顔面をすっぽりと覆った鉄仮面。簡素な鋼の鎧から筋骨たくましい肢体がのぞいている。手にした鋼の剣は、長くそして鋭い。
「はぁっ!」
次はジュヴナントから打ってかかった。
キン、キーン
月光に二人の剣が怪しく光り、乾いた金属音が林にこだまする。
何合となく剣が重ねられていく。
オークたちは、何もできず、ただ二人のまわりを取り囲むだけだ。
力ではディアグの方が上であろう。しかし、長い冒険で得た経験はジュヴナントの方が勝っていた。力、スピード、駆け引き、そういったものが複雑に絡み合って勝負は決まるのだ。
ディアグはじりと押されはじめていた。
「たぁっ!」
「ぐっ!」
ジュヴナントが剣を振り下ろす。それをディアグはかろうじて受け止めた。
「がぁっ!」
そのまま力まかせに剣をなぐ。再び、二人が別れる。肩で息をするディアグ。
『そんなばかな…』
自分が押されているということが信じられなかった。負けるということを、ディアグの持つプライドは許さなかった。
「ちっ…、やれっ!」
そう叫んで、ディアグが後ろに飛びすさる。一瞬、ジュヴナントが訝しんだ。次の瞬間、ジュヴナントの頭上に四方から細い鉄線のネットが次々と投げ下ろされる。
「しまった!」
避ける間もなかった。剣で斬ろうにも、ネットが体に絡まって身動きがとれない。
「…今だ! いけっ!」
ディアグが叫ぶ。それを合図とするかのように、曲刀を細槍に持ちかえたオークたちが一斉にジュヴナントに襲いかかった。
その時だった。
ぶわっ…
突然、あたり一面に黒い煙がたちこめた。黒煙はその場にいた者すべての視界を奪った。
その闇の中を一つの影が走った。
「ぐわ…っ!」
「…ぎゃぁ!」
至る所からオークたちの悲鳴が上がる。
「な、何事だ!」
ディアグが左右を見まわしながら叫ぶ。だが、まわりには黒煙があるばかり。他には何も見えない。
「あっ…」
ジュヴナントは、ネットが外から何者かの手によって切り裂かれるのを感じた。一瞬、身を固くする。しかし、それ以上は何も起きなかった。
「な…何だ…?」
ジュヴナントは不思議に思いながら、手探りでネットから這い出した。
まわりで上がる悲鳴は、明らかにオークたちのものだ。それが意味することは、ディアグにも十分に分かる。
「ぐっ、…なぜだ…?」
ディアグには、もう撤退するしか道は残されていなかった。
ミリアーヌは、木の上からディアグたちの行動を見ていた。
「ほう…、私は運がいいようだ…」
ミリアーヌがほくそ笑む。
黒煙がたちこめる直前に、ルシアは白い煙を抜けた。
ミリアーヌがそれを目の端にとらえたのと、まわりを黒煙が覆ったのはほとんど同時だった。
あたりをつけて黒煙の中に飛び込む。そして、その場に立ちすくんでいるルシアをつかまえた。
「きゃっ!」
いきなり目の前に広がった黒煙の中、突然手をつかまれたのだ。驚かないわけがない。
だが、ミリアーヌはそんなことには一切構わなかった。口早に呪文を唱える。そして、黒煙の中、誰にも知られることなく、二人は姿を消した。
ジュヴナントの指輪が哀しげに瞬いた。
どこからか一陣の風が吹き、白と黒の織り交じった煙を運び去っていく。
まわりの光景に、ジュヴナントは茫然と立ち尽くした。
トットは白煙に包まれた時、その場から一歩も動かなかった。
こういった煙はすぐに晴れると相場が決まっている。目が見えない危険を冒してまでここから動くことはない。煙が目にしみるのも、もう少しの辛抱だろう。
そして、予想以上に時間はかかったものの、煙は風が運び去ってくれた。
しかし、ぼんやりとした景色がしだいにはっきりとするにつれ、トットは言葉を失った。
彼から少し離れた所に、ジュヴナントが独り立っていた。そして、そのまわりを取り囲むように、小さな広場のまわりには無数のオークの屍が横たわっているのだ。
「ジュナ!」
トットはジュヴナントに駆け寄った。
その声で、ジュヴナントは我にかえった。
「…トット…」
後ろを振り向いてそう呟く。だが、その目はすぐにまわりのオークの屍に向けられた。
「ジュナ、これってジュナがやったの?」
トットがジュヴナントを見上げて尋ねる。ジュヴナントは頭を横に振った。
「いや…。おれにも分からないんだ…」
月光に照された広場。その中に眠るオークたち。
「…あっ!」
ジュヴナントは慌ててまわりを見回した。
「ルシアは? ルシアがいない!」
「あっ、そういえば…」
しかし、広場には他に人影一つない。
「ルシアーっ!」
ジュヴナントの呼び声も、月夜に空しく響くだけである。
ルシアがミリアーヌにさらわれたことを、二人はまだ知らない。
- つづく -