クレアは小さな泉の脇の草原に姿を現わした。
「クレアさん!」
懐かしい声が響く。クレアは思わず振り返った。
「シンフィーナ! それにエンターナも!」
クレアの目に飛び込んできたのは美しいエルフの兄妹の姿だった。別れてからまだ二週間もたっていないというのに、クレアには彼らの姿がひどく懐かしく感じられた。
「ひどいよ、突然行っちゃうなんてさ」
駆け寄ってきたせいで上気しているエンターナの顔。金髪が風に揺れている。
そんなエンターナの隣には、クリスタルブルーの髪の少女シンフィーナが立っている。
クレアは目を細めてエルフの兄妹を見た。
彼らの美しさを見ていると、戦いには似つかわしくは見えなかった。このままこの森で平和に暮らしていてもらいたい。そんな思いが、ふとクレアの胸をよぎった。
しかし、それはできない相談だった。
敵の力は大きい。彼らの力添えは絶対に必要なのだ。
クレアは感傷的な気分を無理に振り払った。
「エンターナ、シンフィーナ。話を聞いてほしいの…」
そう言って、静かにクレアは語り始めた。
「…そうか。じゃあ、二ヵ月後にカナトーセって街に行けばいいんだね?」
「エンターナ…」
「私たちのことは心配しないで、クレアさん。戦いに加わることが、ひいてはこの森を、ううん、すべての緑を守ることにもつながるんだから」
「シンフィーナも…。ありがとう…」
クレアはあふれそうになる涙を懸命にこらえた。
空を仰ぐ。日差しが暖かい。遠くから小鳥の鳴き声が聞こえる。優しい風がほおを撫でていく。
ここにはまだ平和でのどかな世界の名残があった。
自分でも、しだいに気分が落ち着いていくのが分かる。
クレアは改めてエンターナとシンフィーナを見た。毅然とした二人の顔が目に映る。それがクレアには嬉しかった。
「分かったわ。またカナトーセで会いましょう」
そう言って、再びクレアは森から姿を消した。
ヤンとキリアーノは再び黒がね連山のドワーフの洞窟を訪れた。
岩はだに柔らかな陽が降りそそいでいる。
「久しぶりですね…」
キリアーノが呟く。
前回とは違って、今回はこっそりと忍び込む必要もないのだ。
「よく戻ってきた」
二人はグルーノムの歓迎の言葉で迎えられた。
だが、彼らには再会を懐かしんでいる余裕はなかった。
「事態は思っていたよりも大変なんだ」
そう言って、ヤンはギリアでの話を話し始めた。
「そうか。そのために戻ってきたのか…」
それまで黙って話を聞いていたグルーノムは、ぽつりと呟いた。
「分かった。この洞窟で見つけた宝ならば、ドワーフのものだと言いたいところだが、『エイリアムの遺産』、おまえの自由に使うがよい」
「族長」
キリアーノがグルーノムを見つめる。
グルーノムは無言で頷いた。
「そうと決まれば、さっそく下に降りようぜ」
ヤンは努めて明るくそう言った。
ヤンとキリアーノは大きな皮袋をいくつも持って洞窟の奥へと歩いていた。
実際に、ロープを頼りに穴を降りたのはヤンとキリアーノだけだ。グルーノムたちは落とし穴のある所で待っている。
それが、彼ら二人に対する敬意だった。
やがて二人はあの地底湖の所にたどりついた。
「…相変わらず神秘的な湖ですね」
「そうだな」
キリアーノの言葉にヤンは頷いた。
「けど、今は仕事の方が先だぜ」
「分かってますよ」
二人は岩壁の裂け目の中に入っていくと、岩戸の中から『エイリアムの遺産』である武器や防具を取り出していった。岩戸の中は思っていたよりも深く、その中に入っている品の数はかなりのものだった。取り出したものを湖の前に並べていく。そういった物が一山になろうとしていた時だった。
「何だ、これは?」
岩戸の奥にキリアーノが奇妙なものを見つけた。
「ん、何だ?」
慌ててヤンが駆け寄る。
それはぶ厚い石板だった。表面には見たこともない文字が刻まれており、岩戸の奥にしっかりと埋め込まれていた。その様は、まるで石板が岩壁から生えているかのようですらある。
表面の文字を指でなぞってみるも、文字が読めるわけではない。
「こいつはいったい…?」
ヤンが呟いた。だが、それに答える者はいない。
「昔からドワーフは、大きな戦いの前には戦いの女神に武器を供えるんです」
湖の前に座って、そう言いながら、キリアーノは皮袋の一つを膨らまし、口を紐で固く縛った。
「で、それをどうするんだ?」
『エイリアムの遺産』を袋に詰めながら、興味深げにヤンが尋ねた。
目の前には数多くの武器や防具が積まれている。
「こうするんですよ」
笑って答えながら、キリアーノは手近な武器の山から無造作に皮に包まれた剣を手に取ると、皮袋を縛った紐の端に結びつけ、そのまま湖に押しやった。
「神々が我々の捧物を受け取ってくれれば、負けることはありません」
膨らんだ皮袋は、剣を下にして浮きながら、緩やかな波に運ばれて沖の方へと流れていく。
二人は、しばし作業の手を休めて沖に小さくなっていく皮袋を見つめていた。
皮袋が完全に見えなくなった頃、ヤンはふとあたりを見回してから、キリアーノに声をかけた。
「…なぁ、キリアーノ」
「何です?」
「…今流した剣、何だと思う?」
「はぁ?」
「あれ、バトスの剣じゃないのか…」
一瞬の沈黙が流れる。そして。
「え! ど、どうしてそれを先に言ってくれないんですか?」
バトスの剣と言えば、伝説の魔剣だ。
「まさか、おれもバトスの剣だとは思わなかったからな…」
「どうしたら…。大変なことをしてしまった…」
うなだれるキリアーノ。その肩をヤンはポンとたたいた。
「ま、気にするなって。あれだけ大した物をもらえば神様だって喜ぶさ。戦いの神バトスにバトスの剣っていうのはぴったりだからな。これでおれたちの勝利は決まったようなもんだ」
中身の詰った皮袋を肩にかけ、ヤンは立ち上がった。
「さあ、行こう。まだ仕事は残っているんだぜ」
街道の両脇には、背の低い叢と雑木林が広がっていた。夜空にかかる月が、そんな風景を無機質に白っぽく染め上げている。かすかに虫の声が響いていた。
ジュヴナント、ルシア、トットの三人は、そんな街道を北に向かって急いでいた。
日が西の地平線に沈んでから、もうかなりの時間がたっている。次の街まではもうしばらくかかるのだ。なんとか野宿に適当な場所をさがさなければならない。
「まだなの?」
トットが目をこすりながら尋ねる。無理もない。今日は、ほとんど休むことなく歩き続けている。
「もう少しだから」
後ろを振り返ってジュヴナントが言う。だが、ジュヴナントにも後どれくらいかかるのかは分からないのだ。
近くにはテントを張れるほどの空き地も見あたらない。道の両脇に続く雑木林が切れるのを待つより他はないのである。
「ねぇ、あそこがいいんじゃないの?」
しばらく歩いてから、ルシアが暗い道の先を指差してそう言った。
見ると、雑木林が開けて小さな空き地をつくっている。
「そうだな。そこにしよう」
ジュヴナントは頷いた。
それは、三人が小さな空き地に着いたのと同時だった。
ピーッ!!
不意に、森のどこからか、甲高い笛の音が響き渡った。
「…!」
訝しむ暇もあらばこそ、だ。空き地の中央で大きな爆発音がしたかと思うと、突然、空き地全体が一面濃い白煙に包まれた。
「ルシア! トット!」
ジュヴナントが叫ぶ。だが、煙のせいでまわりはまったく見えない。しかも、この煙はひどく目にしみる。
「どうなっているんだ!」
ジュヴナントの叫び声が煙の中に空しく響いた。
「はっはっは…。これでやつらも一巻の終わりだ」
森の空き地のまわりを、どこから現れたのか、曲刀を片手に携えたオークたちがびっしりと取り巻いている。それを見ながら、鉄面鬼ディアグはほくそ笑んだ。
この煙は目の神経を麻痺させ一時的に視力を奪う。しかも、特殊なもので簡単には晴れない。後はジュヴナントたちが煙の中からいぶし出されてきたところを一人ずつ始末すればいいのだ。
「意外にあっけないものだな」
笑いながら、ディアグは呟いた。
- つづく -