『エイリアム・ルノア。あんたは-』
エイリアムは戦いの道具を残した。彼は再び戦いの時代が来ることを知っていたのだ。『エイリアムの遺産』はその時のために残されたのだ。そして…
「…おれはこれでいい」
ヤンはそう言って、黄金の隼の弓を手に取った。
軽い。まるで空気を握っているかのようである。
「…残りは置いていこう」
そう言うヤンに、キリアーノが不思議そうな目を向けた。だが、ヤンは笑って答えた。
「今はここから出ることが先だ。こいつらは、その後また取りに来ようぜ」
エイリアムがここに来たのならば、ここから抜け出る方法も必ずあるはずである。
だが、答は驚くほど簡単に見つかった。
岩戸の穴の近くの床に、不思議な杖が刺さっているのをキリアーノが見つけたのだ。
「これは…?」
転移の杖。杖の先の宝石を触ったまま、行先を念じるだけでそこに連れていってくれる魔法の杖。
「そうか…。こいつで…」
ヤンとキリアーノは杖の先に手を置いた。
そして、次の瞬間、二人の姿は洞窟の中から消えていた。
彼らはグルーノムの館の横の小さな岩棚に姿を現した。
「ここは?」
「グルーノムの館のすぐ横ですよ。こんなとこに出るなんて」
地面に腰を下ろしたまま、キリアーノがそう答えた時。ヤンは人の声を聞いた気がした。
「…! 今、人の声がしたよな?」
「ええ! …上の広場。こっちです!」
二人は狭い山道を駆け上がった。
グルーノムは、ドワーフを十数人ともなって広場に出てきていた。手にはあの漆黒の斧をしっかりと握っている。
「遅いな…」
グルーノムは、誰にも聞こえないくらい小さな声でそう呟いた。
その時、まるでその声を合図とするかのように、金属の触れ合う音が聞こえ始めた。
…ガチャリ…ガチャリ…
小さな音が山道を登ってくる。
「来たか…」
渋い顔で、グルーノムは呟いた。
やがて、広場の外れの一段高くなった所に、茶のローブに身を包んだ一人の男が現れた。
垂れ下がった耳にぼさぼさのたて髪。大きな口からは鋭い牙がちらと顔を覗かせており、大きな傷跡が左目からほおにかけて走っていた。
「久しぶりだな、ドゥルガ」
感情のない声で、グルーノムは言った。
獣王ドゥルガ。
魔皇帝サロアの配下。四魔将の一人。
「そう言うな。こちらも最近は忙しいんだ」
ドゥルガはそう言って薄笑いを浮かべた。グルーノムがあの斧を手にしているのを認めたからだ。
「これが約束の品だ」
グルーノムが後ろのドワーフたちに合図を送る。と、ドワーフたちはグルーノムの前に刀や鎧などの彼らの作品を並べた。
「ほう…」
どれもこれもすばらしい品ばかりである。
目を細め、それらの品々を物色するドゥルガ。ドゥルガはにやりと笑った。
「…で、いくらになる?」
「金五〇〇」
「金五〇〇とは、ずいぶんはったものだな…」
ドゥルガは苦笑した。だが、グルーノムは表情一つ変えない。
その時である。
「族長!」
不意に左手の方から声がした。グルーノムとドゥルガが振り向く。
「おまえは…、キリアーノ」
そこにはキリアーノが毅然と立っていた。キリアーノは二人の所へ駆け寄った。
「族長、どういうつもりですか? こいつは…」
そう言って、キリアーノはドゥルガを睨みつける。
「こいつは魔族です。そんなやつに武器を売るなんて…」
「おまえには関係のないことだ」
「族長!」
「さっさとこいつを連れていけ」
グルーノムは背後のドワーフたちに命令した。
「族長! あんたはっ…!」
「すまないな、失礼した。…ん?」
だが、ドゥルガはキリアーノのことなど見てはいなかった。彼の視線は、左手の岩影に立っているもう一人の男に注がれていた。
『あの男は、確か…』
『何だ…、あいつは?』
ヤンは身震いを抑えることができなかった。
この感触は、忘れることもできない、あのドラゴンのものと同じだった。黒い恐怖が全身を駆けめぐる。体中がじっとりと汗ばんでいく。
グルーノムもヤンの姿に気付いた。
「そうか…。侵入者というのは、おまえたちのことか」
キリアーノの方に振り返るグルーノム。キリアーノはグルーノムをキッと睨みつけた。
グルーノムが片手を上げる。と、五・六人のドワーフたちが、ばらばらとグルーノムの前に出た。
「まあ、待て」
ヤンの方を向いたまま、ドゥルガはグルーノムに言った。
「おい、そこのおまえ! こっちに下りてきたらどうだ?」
にやにやと笑いながら、ドゥルガはヤンに向かって叫んだ。
「お…おまえは何者だ!」
ヤンが叫ぶ。
「おれの名前はドゥルガ。サロア様の配下」
「サロア?」
ヤンは訝しんだ。聞いたこともない名だ。
「おまえも知らない人間ではないぞ。サロア様は、かつてはレキュル・アーカスとも呼ばれていたのだからな」
そう言って、ドゥルガは再びにやりと笑った。
「な…、レキュルだって! 何を言ってるんだ!」
ヤンがドゥルガを睨みつける。
「ふっ。せっかく本当のことを教えてやったのにな。少しくらいは感謝してもらいたいものだぞ」
「黙れっ!」
そう叫んで、ヤンは黄金の隼の弓に矢をつがえると、ドゥルガ目掛けて構えた。
「おまえなんか…」
「がっはっはっはっ…。そんなものがこのおれ様に効くとでも思っているのか?」
ドゥルガは茶のローブを投げ捨てた。その下から、皮の鎧に包まれた筋骨隆々とした肢体が現れる。
「おもしろい。やってみるがいい」
ドゥルガが笑う。
ヤンが矢を構えたことによって、グルーノムらのドワーフも斧を構えてヤンに向き合った。
『くっ…、どうしたら…』
これくらいの矢では、ドゥルガに大したダメージを与えることなどできるはずもない。だが、相手はドワーフを含め一〇人近く。この一撃でけりをつけなければ、ヤンに勝ち目はないのだ。
「どうした小僧? 今頃、恐ろしくなったか?」
そう言って、再びドゥルガが笑う。
「ちっ…」
その時だった。
ヤンの右腕のあの腕輪が突然まばゆいばかりの光を放った。その光に共鳴するかのように、弓が、矢が、激しい光を放つ。
「な…何だこの光は!」
まぶしそうに光を避けながら、ドゥルガが叫ぶ。
『そうか…。そうなんだな…』
だが、ヤンは光の中で声を聞いた。
そして、再び弓矢を引く。光が帯をなす。
「いけーっ!!」
光の帯と共に矢が放たれた。矢は空を切り裂き、目標に向かって一直線に飛んだ。
そして…
ガシャーン!
光の矢は、グルーノムの持つ斧の赤い宝石に命中した。宝石が粉々に砕けて飛び散る。
「何だとぉ!」
ドゥルガの顔色が変わる。
「…わ…わしはいったい…?」
斧を地面に取り落として、グルーノムは茫然と呟いた。ドワーフの呪縛が解かれていく。
「ドゥルガ!」
ヤンが叫んで、新たな矢をつがえる。
「がっはっはっはっ…。なるほどな。いくらグヮモンといえども、完璧ではなかったということか」
そう言って、ドゥルガは懐から黒い水晶の玉を取り出した。
「いい土産話ができたというものだ」
水晶球を地面に叩きつける。と、割れた水晶の破片から黒い煙が立ち上って、ドゥルガの姿を隠した。
「ヤンとやら。また会うだろうよ」
その言葉を残して、ドゥルガは煙と共に消えた。
ヤンが力なく弓を下ろす。
「あ…あいつ、何でおれの名前を知ってたんだ?」
- 第6章おわり -