岩壁はしっかりと磨きがかけられており、壁の所々に掲げられた松明の光を反射して鈍く輝いていた。通路のあちこちに立てられた彫刻や装飾を施した柱が、普段なら通る者の目を楽しませるのだろう。
真っ直ぐに伸びる広い大通りからは、いくつかの細い道が枝分かれしていた。通りの脇には多くの岩屋が整然と立ち並んでいる。
ヤンとキリアーノは人通りの少ない裏通りを選んでは、慎重に先を急いでいた。
あたりは不思議なほど静かだった。
靴音だけが薄暗い通りの中にこだまする。
まるで、館自体が二人の侵入者を、息を殺してじっと見守っているかのようだった。
「もうずいぶんになるぜ。一体、その斧ってのはどこにあるんだ?」
小さな声で、ヤンは先を行くキリアーノに尋ねた。得体の知れないこの館の中を長時間歩くのは、非常に神経が疲れる。その上、洞窟は相も変わらぬ風景が続いている。
「どこ…という詳しい場所は私にも分かりません」
鉄でできた大きな扉の前で立ち止まって、キリアーノは答えた。
「分からないって…」
ヤンは目を丸くした。
「おい、そんな…」
「あの斧の本当のありかを知っているのはグルーノム族長だけです」
何かを言おうとするヤンを制するかのように、キリアーノははっきりと言った。
「私もいろいろ調べましたが、彼の館の中の『宝祭の間』にあるらしいということしか分かりません。そして、今、私たちが向かおうとしているのが、その『宝祭の間』です」
キリアーノがまっすぐにヤンを見つめる。ヤンはきまり悪そうに頭を掻いた。
「…ちっ、しゃあねぇ。じゃ、早いとこその『宝祭の間』とかに行こうぜ」
「急ぐ必要はありませんよ」
キリアーノはにこりと笑った。
「この扉の向こうが『宝祭の間』なんですから」
「おいおい、いったいどこに斧があるんだって?」
ヤンは苦笑しながらキリアーノに尋ねた。
「そ…そう言われても…」
明りもない広い方形の部屋の中は、ただ、がらんとしていた。斧どころではない。何もないのだ。岩の床の上にうっすらと積ったほこりが、この部屋が長い間使われていないことを如実に示している。
「ま、ここじゃなかったってことだ」
ヤンは部屋を出た。すまなそうにキリアーノもそれに従った。
「さて…と、どうやって斧を探すかだな」
「はぁ…」
ヤンが再び『宝祭の間』を覗き込んだ時である。
「おい、おまえたち、何をしている!」
前方の廊下から怒声が響いた。
慌てて振り向いたヤンの目に、松明と手斧を持ったドワーフの姿が映る。
「…やべぇ! こっちだ!」
ヤンは急いでキリアーノの腕をつかむと、そのドワーフに背を向けて走りだした。
「待てーっ! 誰かいないか! 侵入者だ!」
ドワーフも叫びながら後を追ってくる。
ヤンとキリアーノがいくつか目の薄暗い角を曲った時だった。
「えっ…?」
「わっ!」
突然、足元の地面が消えた。
二人の体が宙に浮く。
あたりが暗闇に包まれた。
そして、次の瞬間。
ドシーン!
派手な音を立てて、二人の体は固い地面に打ちつけられていた。
「いてて…」
腰をさすりながら、ヤンが立ち上がった。注意深くあたりを見回す。だが、左右には闇があるばかりだった。遥かに高い天井から、僅かに一筋の光が洩れている。
どうやら落とし穴に落ちたようだった。
松明に火をつける。弱い光があたりを照らす。
「念の為に持ってきた松明が、こんな所で役に立とうとは思わなかったな」
ようやくキリアーノも立ち上がった。
「ヤンさん…、ここはいったいどこなんですか?」
「グルーノムの館の、どこかってとこだろ?」
笑ってヤンは答える。
「とにかく、上にあがる方法を見つけないと」
二人は暗闇の中を、松明の明りだけを頼りに歩き始めた。
道は水で濡れていた。天井からたまに水滴が落ち、足元の細い水の流れをつくっていく。
どうやらここは大きな鍾乳洞のようだった。
長年の、自然の力が創りだした天然の洞窟。
それは、ドワーフたちが創った、上の洞窟よりも遥かにすばらしいものだった。すべてが自然であった。どこにも無理がなく、調和が取れている。キリアーノは、しばしば立ち止まっては感嘆のため息をついていた。
だが、道は二人の意思に反して、しだいに下り坂になっていた。
どれくらい歩いただろうか。
長かった道は突然終わりをむかえた。
「えっ…」
急に、目の前が開ける。
「…!」
声が出なかった。
松明の光に照らしだされて、彼らの目の前に、巨大な地底湖が姿を現した。
漆黒の闇の中に、時折光を反射して輝きを見せる黒い水面。そんな暗い湖面が見渡す限りどこまでも続いている。
松明の光では、この湖を照らすにはあまりにも弱々しかった。いや、松明の光の中だからこそ、湖はよけいに神秘的な姿を二人の前にさらしているとも思えた。
その景色は、ヤンとキリアーノを畏怖させるには十分すぎた。
「…おお…」
そう呟いて、キリアーノがひざまづく。
ヤンも、しばし言葉なく立ち尽くしていた。
だが、しばらくして、ヤンは湖の呪縛から開放された。
冷静に今の状況を考えてみる。
こんな大きな湖があったのでは、先へ進むことはできない。となれば、先程の所まで戻るしかないが、それも癪に触る。
そう思いながら、ヤンは松明をかざしてあたりを見回した。他に道がないかさがすためだ。
『やっぱり無理か…』
ヤンがそう思った時だった。
右手の壁に、何かが一瞬きらめいた。
「お…おい!」
壁を見つめたまま、ヤンはキリアーノに声をかけた。
「え…? 何です?」
その言葉で我に返ったキリアーノが尋ね返す。
だが、ヤンは無言で壁を凝視したまま、ゆっくりと壁に近付いた。
壁には人一人がようやく入れるくらいの狭い亀裂があった。亀裂はそのまま奥へとのびている。
ヤンは身を屈めてその中に入った。
奥は入口よりはかなり広くなっていた。
「こんな所があったんですか…」
ヤンに続いて中に入ってきたキリアーノがそう呟いた。
だが、ヤンの目は壁の奥の小さな岩戸に釘付けになっていた。自然を装ってはいたが、それは明らかに人工的に作られたものだ。
『こいつは…』
ヤンの胸が高鳴る。
岩戸に手をかけ、そして、引いた。
ゴトリ、と音を立てて重い岩戸が倒れる。
そして、その瞬間、
パァーッ!
「あっ!」
岩戸の穴からあふれた光がヤンを直撃した。一瞬の内に、光が狭い部屋の中を満たす。
「ヤンさん!」
キリアーノが叫ぶ。だがその声も光に飲まれる。
シュゥゥー…
光が収まった時、ヤンは茫然と立ち尽くしていた。
「な…何だったんだ、今のは…?」
そう呟くヤンの右上腕には、見たこともない黄金の腕輪がはまっていた。表面には何やら文字のような模様が入っている。が、ヤンにはそれが何であるのか理解できなかった。
「す…すごい…」
穴の奥を見つめながら、キリアーノが言った。
その言葉に、ヤンも穴の奥を覗き込んだ。
「…!」
バトスの剣、雷帝の杖、黄金の隼の弓、霧の羽衣、竜の盾…。すべて伝説の武器や防具である。
穴の中には、そういった高名なものから、名を知られていないものまで、立派な武器・防具がぎっしりと詰まっていた。
エイリアムの遺産。伝説のそれが、今二人の目の前に横たわっている。
だが、盗賊たちが想像していた宝石や金貨の類は一つもなかった。
「こいつはいい!」
キリアーノは穴の中から左右に角のついたミスリルの兜を取りだして頭に被った。
「ぴったりだ!」
ヤンは、無言でそれを見ていた。
- つづく -