波止場から、目もくらむばかりの船団を見送った後、ヤンはすぐに宿へと戻った。
ベットに横になったまま、メイルからもらった手紙の封を開ける。
中には数枚の紙が入っていた。
紙には細かい字がびっしりと書き綴られている。
「…なっ!」
ヤンは手紙から目を離さずに起き上がった。
「『エイリアムの遺産』って…」
ヤンはそこまで読んで絶句した。
エイリアム・ルノア
かつては全世界にその名をとどろかせた大盗賊だ。だが、三十年ほど前、突如として姿を消してしまっていた。
その理由については様々な憶測がなされている。だが、どれが本当の話なのかはヤンには判断しかねるものがあった。
そんな彼が姿を消した時、どこかに隠したといわれる財宝が『エイリアムの遺産』である。
今までに数多くの盗賊たちがそのありかを突き止めようと努力し、その努力はそのまま水泡へと帰してきた。
中には『エイリアムの遺産』自体が作り話にすぎないと言う者すらある。
だが、『エイリアムの遺産』は、ヤンのような盗賊たちにとっては依然として大きな憧れなのである。
大柄な体に、紫の頭巾をかぶり黒髭を伸ばしたいでたちは、今では伝説のものとなっていた。
ヤンはベットの上に座り直して、子細に手紙を読み直し始めた。
ヤンは朝早く宿を出た。
酒場に行き、そこで一日の大半を過ごす。
ここ数日、そんな生活が続いていた。
あいにく、『エイリアムの遺産』についての新しい情報を得ることはできなかったが、代わりにいくつか興味深いことを知ることができた。
例えば、ここ最近、出没する魔物の数が増えてきたこと。このあたりを荒らす海賊の拠点は、どうやらハルバース島にあるらしいこと。その海賊と、昔からの山賊団がいさかいを起こしているということ、などである。
だが、もっともヤンの興味を引いたのは、この町の北に位置する北に位置する黒がね連山<ロスタルト=テア=ナンテ>に住むドワーフの族長が新しくなったことだった。新しい族長の名はグルーノム。そして、ヤンは最近人間とドワーフの仲が疎遠になってきていることも知った。
ヤンがドワーフの話題に興味を持ったのには理由がある。
メイルからの手紙によれば、『エイリアムの遺産』はこのフェルバ近くのどこか地底深くに眠っているという。それを読んでヤンの頭に閃いたのは、黒がね連山のドワーフの洞窟のことである。
ベルタナス王国の南西の端に位置する黒がね連山は、鉄鉱石が取れることからそう呼ばれている。現在ではドワーフたちがその仕事を担っているが、その鉄鉱石はドワーフたちが黒がね連山に住みつくよりも前から掘られ続けているのだ。ならば、ドワーフたちが知らない地底深くに続く洞窟があるかもしれない。ヤンはそう考えたのだった。
フェルバは黒がね連山に近いこともあって、昔からドワーフとの交流が盛んであった。しかし、ヤンが街に来てから、ほとんどドワーフの姿を見かけることはなかった。
だが、最近ヤンはある一人のドワーフによく会うようになっていた。
彼も毎日酒場へ来ていた。酒場の隅で酒を飲み、何も言わずに帰っていく。その近寄りがたい雰囲気のためか、誰も彼に話しかける者はなかった。
ある日、ヤンは酒場の椅子に座ったまま、そのドワーフを見ていた。ドワーフが面を上げ、不意に二人の目が合った。ヤンがにこりと笑う。だが、ドワーフはそのまま目をそらして酒を飲み始めただけだった。
『ふーん…』
ヤンは心の中でそう呟いた。
それから、さらに数日が経過した。
その知らせは突然入ってきた。
「-…!」
一人の男が酒場に息をきらしながら駆け込んできた。彼が大声で話すと、酒場の中は一瞬の内に喧噪につつまれた。
近くにいる者と大声で話す者。駆け込んできた男に詰め寄って、さらに詳しい話を聞き出そうとする者。慌てて酒場を出ていく者。そのさまは、まるで蜂の巣をつついたかのようである。
だが、そんな酒場の喧噪を後に、ヤンは真っ先に酒場を飛び出していた。
そのまま港に向かって全力で走る。
「…ごめんよっ!」
通りを行き交う人々をぬって、ヤンは先を急いだ。
波止場近くの海岸には、すでに人だかりができていた。
「ちょっと通してくれ!」
人をかき分けながら、ヤンはその前に出た。
「…っ! メイル!」
思わずヤンは叫んだ。
浜には小さな救命ボートが打ち上げられていた。ボートは傷つき壊れそうになりながらも、消えそうな一つの命をこの浜辺まで運んでいた。
この救命ボートは、かつてはジム・ホースキンの船に積み込まれていたものである。そして、その中で横になっているのは…メイル・カラム。メイルだ!
ヤンはボートに駆け寄った。
誰かが救命員を呼びに行っているのだろうが、まだ到着してはいない。
人々はボートのまわりで輪になりながらも、あえてボートに近付こうとはしなかった。
「メイル! メイル!」
ヤンはメイルの体を抱えてゆすった。
「メイル!」
メイルがうっすらと目を開ける。
「…気付いたか!」
「…ヤン…さん…ですか…?」
メイルは消えそうな声で言った。
「そうだ。どうしたんだ!」
「…あれは…、いったい…何なんですか…?」
ヤンは、開いてはいるものの、メイルの目が何も見ていないことに気付いた。
「…メイル?」
「あんな…あんな恐ろしいもの…、今までに見たこともないですよ…」
もはや、ヤンの声すらメイルには届いていない。
「…そう…、まるで大きな…イカみたい…」
「メイル! しっかりするんだ! メイル!」
ヤンが叫ぶ。
「…あいつのせいで、みんなは…。ぼくは何も…できなかった。ぼくなんかが…ぼくなんかが、海に…出るべきじゃ…なかったん…。ご…め…ん…」
一筋の涙が、メイルのほおをつたって落ちた。
ガクリと首をたれる。ヤンの腕の中で、その体温が急速に奪われていく。
「メイ…ル…?」
ヤンにはその事実が信じられなかった。
メイルの体をきつく抱きしめる。
だが、一度失われた命はもう二度と戻ってはこないのだ。
「メーイルっ!!」
ヤンの目から、涙がひとしずく、流れ落ちた。
救命員が来て、メイルの遺体を運んでいった後も、ヤンはその場にうずくまったまま、動こうとはしなかった。
集まっていた人々も、しだいに散っていき、浜辺は再び静けさを取り戻していた。
「あなたが、ヤン・コートランドさんですか?」
どれくらい時間がたった頃か、後ろから声をかける者がある。低い声だ。
「そうだ…」
ヤンはうなだれたまま、顔を上げることもせずに答えた。
「あなたを探していました。私はメイルの友人のキリアーノといいます」
メイルの名を聞いて、ヤンは慌てて顔を上げた。
ヤンの目の前に立っていたのは、あの酒場にいたドワーフであった。彼も、他のドワーフ同様、低い背、筋肉質の体を有している。漆黒の長いあごひげは腹の辺りにまで達していた。だが、見かけに比べるとまだ若いようでもある。
ヤンは砂を払って立ち上がった。
毅然とした目でそのドワーフを見つめた。
「探していた、とはどういうことだ?」
「ここで話をするのもなんですから、私と来てもらえませんか?」
ドワーフはそう言った。
「…分かった。行こう」
それだけ答えて、ヤンは無言のままドワーフの後をついて歩き始めた。
「私があの酒場にいたのは、ヤン・コートランドという人を見つけるためだったんです」
キリアーノと名乗るドワーフは、港の外れで立ち止まってそう言った。
「おれを?」
ヤンが訝しげに尋ねる。ヤンにはその理由が分からなかった。キリアーノは言葉を続けた。
「私とメイルは古くからの友人でした。まだ、黒がね連山のドワーフとこの街の人間の間に多くの交流があった頃からのね…。しかし、今ではそんな時代が懐かしいばかりです」
そう言って、キリアーノは海に向かって遠い視線を投げかけた。
緩やかな潮風が吹き、カモメの鳴き声がこだまする。すでに海には浮かぶ船もない。ただ、寄せては返す波があるばかりである。
「理由は分かっているんです」
毅然とした表情で、キリアーノは突然振り返った。
「どうしても、あなたに盗み出してもらいたいものがあるんです」
- つづく -