竜騎士伝説

Dragon Knight Saga

第6章 ドワーフの斧 その1

「ここは…?」
 ヤン・コートランドはすっかり暗くなった街道の真ん中に立ったまま、あたりを見渡した。
 目の前を、ブリアラスタ川がとうとうと流れ、天から明るい月が彼の姿を闇の中に浮かび上がらせている。
 まわりに広がっている穏やかな景色は、平和そのものだった。
 つい先程まで、ドラゴンと闘っていたということが信じられない。
「さて、と。どうしたものか…」
 街道の脇にある大きな石の上に腰を下ろして、ヤンは呟いた。
 これまでの道中やドラゴンとの闘いが、まるで夢であるかのように思い出される。
『不思議な出来事だよな…。でも…』
 ヤンは空を見上げた。
 満天の星の輝きに重なって、ジュヴナント、レキュル、クレアの姿が思い出される。
 いきなりドラゴンとの闘いが始まるのなら、こうやって突然離ればなれになるのもいかにもありそうだ。
『ま、とりあえずさがすとするかね…』
 思わず微笑んで、ヤンは勢いよく立ち上がった。
「仕方ない。フェルバに戻るか」

 ブリアラスタ川を出発してから五日目には、ヤンはフェルバに着くことができた。
 フェルバは、ヤンの故郷から近い。これまでに何度も訪れたことのある都市である。
 ドレス湾に面した天然の良港を持つフェルバは、あいかわらず商業都市として年中多くの人々で賑わっていた。
 港には漁船や貨物船をはじめ常に大型の船舶が多数係留されており、船を固定するための太い綱で狭い波止場は足の踏み場もないほどだった。
 まぶしい日差しの中、その綱と綱の間をヤンは軽やかに歩いていた。
「よっと。…とと」
「あ! ヤンさんじゃないですか! どうしたんです、こんな所で?」
「え?」
 突然に後ろから声をかけられて、思わずヤンは振り返った。
 そこに立っていたのは、背の低い人のよさそうな青年だった。短く刈り込んだ茶色の髪とそばかすのうかんだ丸顔。赤い横縞の入った水夫服を着ている。歳はまだ二十前だろう。
「…メイル! メイルなのか、本当に?」
 ヤンは叫んで、青年の近くに駆け寄ろうとした。だが、その途端、足が綱の一本に絡まった。
「…んがっ! わっわっわっ!」
 なす術もなく、見事に倒れる。
「ははっ。相変らずですね」
 メイルが笑って、ヤンを助け起こそうと手を伸ばした。右手を伸ばして、ヤンがその腕に掴まる。ヤンはニッと笑った。
「こいつぅーっ!」
 突然、ヤンがメイルの腕を引っ張った。
「わっ、な、な…!」
 二人はそのまま波止場の上に倒れ込んだ。
 そして、二人して笑った。

「…しかし、久しぶりだよな。かれこれ六年以上になるんじゃないのか?」
 ヤンは波止場の端に腰を下ろしたまま、暗い色をした海の水面を眺めた。
 隣では、メイル・カラムが同じように足を海の方に投げ出している。
「まったくですよ。ヤンさんが冒険者になるんだって言って、突然村を出てった時は驚きましたよ」
「ん…」
 だが、ヤンは手の中の小石をもてあそびながら、何も答えなかった。
「ヤンさん?」
 メイルがヤンの顔をのぞきこむ。
 ヤンは突然立ち上がって小石を海に投げた。
 小石は、大きく弧を描いて深緑の海面に吸込まれると、白く小さな波頭をたてた。
 だが、その横顔はさらに遠くを見ているようだった。
「ま、いろいろあるさ」
 ヤンは振り返って笑った。
「ヤンさん…」
「それよりもさぁ、おまえの方はどうなんだよ? まさか、今でもうだつの上がらない植木屋やってるわけじゃないんだろ? ま、植木屋がこんな所にいるはずはないけどな」
「そりゃそうですね」
 そう言って、メイルも笑った。
「何だと思います?」
「どの船だと思う? って聞くべきだな」
「えっ。何でぼくが水夫やってるって分かったんですか?」
「あのなぁ、そんな服着たやつが他に何するんだ? 誰だって、見れば分かるさ」
「まいりましたね。まったく、かないませんよ」
「で、本当にどの船なんだ?」
 ヤンは再びメイルの横に腰を下ろして尋ねた。
「あれです」
 そう言って、メイルは波止場の外れに係留されている一隻の大きな帆船を指差した。
「ジム・ホースキンさんの所の船なんです」
「でかいな…」
 ヤンは呟いた。
「でしょう? ここいらでも、あんな大きな船を持てるのはジム・ホースキンさんぐらいのもんなんですよ」
 さも得意そうに話すメイル。そんなメイルをヤンは無言で見つめた。
「ん? どうかしましたか?」
 メイルが尋ねる。
「いや。何でも。…立派な船じゃないか。いつ出発なんだ?」
「それが…、明日なんです」
 少し残念そうに肩をすくめて、メイルは答えた。
「久しぶりに会えたんですから、聞きたいことは山ほどあるんですけど…」
「明日…か。そいつは仕方がないな。まぁ、明日は見送りに行くよ」

 ヤンはメイルと分かれた後、日の傾いた通りをメイルに紹介してもらった宿に向かって歩いていた。
『しかし、この大変な時に出港なんて、ジム・ホースキンって人はいったい何を運ぶ気なんだ?』
 ヤンとて、このあたりの海域に出没する海賊の話を知らないでもない。
 海賊グレス一家の噂は、もはやベルタナス中に広まっているのだ。義賊を気どってか、大商人の船しか狙わないという話も聞いた。ならば、よけいにジム・ホースキンの船が狙われる可能性は高い。
『あれだけ大きな船なら心配ないと思うけど…』
 しかし、どうしても胸の内にモヤのように広がる不安を完全に払拭することはできないヤンであった。

 次の日、フェルバは空一面快晴に恵まれた。
 小春日和といったところだろうか。
 穏やかな日差しが、海に反射してきらめいている。港は大勢の人々で賑わい、街は今日も活気にあふれていた。
 だが、わずかに冷たい風と高い空が、本格的な春の到来まではもう少しの猶予が必要であることを示している。
「船出にはもってこいの天気だよな」
 立ち止まって、手をかざしたまま空を見上げる。
 そして、人込みをぬいながら、再びヤンは港に向かって足早に歩いていった。

 港には多数の船舶が停泊している。
 しかし、その中からジム・ホースキンの帆船を見つけることはたやすかった。
 巨大な茶の船体。きちんと折り畳まれた帆。複雑に張りめぐらされたロープ。それらは、船を昨日よりも立派で威厳深く見せていた。
 まさに、海の巨城といった風体である。
「ひゃぁー」
 間近で船を見上げながら、ヤンは思わず感嘆の声をもらした。
「これ、こんなにでかかったっけ…?」
「おはようございます、ヤンさん!」
 後ろから馴染みの声がかかる。
 振り返ったヤンの目の前には、メイルが立っていた。もうすでに船に積み込んだのか、もともと少ないせいなのか、手には小さな皮のカバンを持っているだけだった。
 相変わらずの水夫服を着、日にやけた顔に笑みを浮かべている。
「おい、メイル。この船、昨日よりもでかくなったんじゃないのか?」
「何をばかなこと言ってるんですか」
 メイルが笑う。
 ヤンは再び巨大な帆船を見上げた。
「ま、これだけでかい船なら、何があっても大丈夫だな」
「まさか、この船一隻だけで出港すると思っているんじゃないでしょうね?」
「え?」
「このあたりに停泊している船は、全部ジム・ホースキンさんのものなんですよ」
 メイルは横に手を広げて、その波止場中の船を差し示した。
 大小合わせて十隻以上はあるだろうか。それぞれの船では、水夫や雇人など多くの人々が忙しそうに船に荷を積み込んでいる。
「全部って…。これがぁ?」
 驚いて目を丸くしているヤンを見て、メイルがまた笑った。
「ははっ。そんなに驚くことはありませんよ。なんてったって、ジム・ホースキンさんはここいら一の貿易商なんですから」
「でも…」
「それより、今日はいいものを持ってきたんです」
「いいもの?」
「これですよ」
 そう言って、メイルはカバンの中から一通の封筒を取り出した。口はロウできちんと封がしてある。
「何だ、いったい?」
「開けてみれば分かると思いますよ。本当は昨日話そうと思ったんですけど、時間もなかったし。知ってる限りはそこに書いておきましたから。あ、もうそろそろ、ぼくも行かなきゃならないから」
「…ん。がんばれよ」
 表情を引き締め、ヤンが拳を胸の前にかかげる。
 ヤンの村に伝わる古くからの旅立ちの呪いのようなものだ。
「はい」
 メイルも同じようにして、それに答えた。

 赤地に白の縁取りのあるホースキン家の三角形の旗をなびかせて、十数隻からなるジムの船団はゆっくりと港を出港した。
 抜けるような青空の下を、碧い海を切り裂きながら船影はしだいに小さくなっていったのだった。

- つづく -