ベルムサラートの話は長いものだった。その要点をまとめると次のようになる。
半年程前 -
秋風が冷たくなり始めた頃、この神殿を一人の男が訪れた。誰も知るはずのないこの神殿にである。当然、普通の者ではない。
彼はベルムサラートを目の前にしても少しも慌てる様子がなかった。
男は言った。
「これはエンゲンツァ神の神殿からの贈り物でございます」
エンゲンツァ神の神殿を司る者…。ベルムサラートは、それが誰であるのかは知っていた。だが、現在の彼の行方までは知らなかった。
彼が剣の山<ソール=テア=ナンタ>にあるエンゲンツァ神の神殿に戻ったのならば、それは喜ばしいことである。それは彼が覚醒したことを示すからだ。
ベルムサラートは男の話を信じた。
油断といえば油断であったろう。しかし、前回からまだ十分な時間が経っていないことが、逆に魔性の者のことを疑わせなかったのである。
男が持ってきたのは赤い宝石の首飾りであった。装飾の施された金の鎖には、はっきりとエンゲンツァ神の神殿のマークが刻み込まれていた。
ベルムサラートはその首飾りを首にかけた。
覚えているのはそこまでだった。
ベルムサラートはドラゴンに変化し、首飾りもまた太い鎖と赤い宝玉へと変わったのである。
「…次に、私が自分を取り戻したのは、君が宝玉を討った時だった」
そう言って、ベルムサラートはジュヴナントを見、カルナウィナラスの方を向いた。
「…じゃあ、あの時、剣から聞こえた声は…」
ジュヴナントもカルナウィナラスを見る。
「ええ。あれは私ですよ」
カルナウィナラスはにこりと笑った。
「…ということだ。君たちには感謝しているよ」
ベルムサラートはジュヴナントの方に向き返ると、一振りの剣を取り出した。
「そ…それは…」
ジュヴナントは驚いて剣を見つめた。
「これは君のものだろう。それに、私が持っていても仕方がないしね」
それは光の剣であった。かつて、ジュヴナントたちがドラゴンと闘った時の剣だ。
「結局、私に宝玉を渡したものの正体は分からなかったが、今となっては、あの男が魔の者であったのは間違いないだろう。前回彼らが倒されてからまだ三〇年程しか経っていないというのに、すでに復活を果たしているとはね…。どうやら今回はこれまでとは違うようだ。手遅れになる前に手を打つ必要があるんだ。頼む、魔の者の野望を打ち砕いてくれないか」
そう言って、ベルムサラートはジュヴナントに光の剣を差し出した。
ルシアとトットも、言葉なくジュヴナントを見つめている。
「で…でも…。私よりもあなたがたの方が遥かに力をお持ちではないですか…。なのに、なぜ…?」
ジュヴナントが尋ねる。
ベルムサラートは力なく微笑んだ。
「私たちもできることなら、君たちに迷惑をかけたくはない。しかし、そうはいかないんだ。私たちは軽々しく自分の神殿を離れることができない。それが私たちの使命なんだ」
「で…でも…」
ジュヴナントはうつむいた。
「私たちには、あなた方に頼るしかないのです」
カルナウィナラスもそう言った。
「…」
「ジュナ…」
ルシアが呟く。
ジュヴナントは顔を上げた。
カルナウィナラスを見、ベルムサラートを見る。
そして。
「…分かりました。全力を尽くしてみます」
「では、麓まで送ろう」
ベルムサラートはそう言った。
「世界を…頼む」
三人の体が光に包まれた。
ジュヴナント・クルスは、淡い光の中に浮いていた。
『…ジュヴナントよ。もはや、運命は回り始めてしまっている。大切なのは自分を信じることだ。おまえの指輪は風の指輪。精霊神の与えしもの。いつかきっと役に立つだろう。…それに、ルシアのことは心配ない。ただ、彼女の中には神と悪魔が同居している。…ルシアとトットは…君が守ってやって…くれ…』
頭の中に次第に遠くなっていくベルムサラートの声が響く。
『…はい』
光の剣を握りしめたまま、力強くジュヴナントは頷いた。
ジュヴナント、ルシア、トットは天の高地の麓に立っていた。
天の高地<アラ=デ=ヤグナフォント>。神々が住まうと言われる所…。
やっと今、ドラゴンとの闘いの後、光の中で聞いた言葉を完全に理解できた気がしていた。
「今まで、おれたち、あの上にいたの?」
高くそびえる峰々を見上げながら、トットが呟いた。
「ああ。…ほら、向こうに見えるのが、ネフスの街だ」
ジュヴナントはトットの頭に手をおくと、遠くの街影を指差した。
だが、ジュヴナントはベルムサラートが神殿の中で魔の者について語った言葉の重要性にはまだ気付いていなかった。それが明らかになるのは、もうしばらく先のことである。
「急ごう。もう、ずいぶん暗くなってきた」
彼らは再び歩き始めた。
長く辛い、運命という名の道を。
「こちらでございます」
グヮモンは、レキュル・アーカス - 今ではサロアと呼ばれる青年の前に立って岩の階段を降りていた。
階段はきつい螺旋を描いて、遥か奥にまで続いている。灯りはグヮモンの持つ松明だけだ。松明の火が、荒れた岩肌をぼぉっと浮かび上がらせていた。
ここは大陸の東の外れに位置する剣の山<ソール=テア=ナンタ>の遥か地下深く。大地が息づいている所…。
長かった階段は、突然終わりを迎えた。
そこからは、奥の闇に向かって、切り立った岩壁とまっすぐな道が延びている。
「行きましょう」
グヮモンは再び先頭に立って歩き始めた。
汗がにじむ。
あわりの空気が次第に熱を帯びてきていた。
長い廊下の先の岩壁を、うっすらと赤い光が照らしていた。まっすぐな岩の廊下はそこで行き当たり、直角に右へと折れ曲がっていた。
グヮモンとサロアはその角を曲った。
「…!」
それはすぐ目の前に広がっていた。サロアは、思わずその場に立ち竦んだ。
「これでございます、陛下」
振り返ってグヮモンが言う。落ち着いた声だ。
サロアの目の前に広がっているのは、大きな勺熱の溶岩の泉だった。だが、サロアの目は溶岩の泉の中央にある小さな岩山に釘付けになっていた。
円錐形をした小さな岩山は、その頂上から絶えず激しい炎を吹き上げている。
「あれが…か…」
サロアは呟いた。
よく見れば、サロアたちのいる場所から岩山までの間の溶岩の泉には、渡っていけるような飛び石がいくつかある。
バッ…
突然、サロアはマントをひるがえすと、その飛び石の一つに飛び移った。立ち止まることなく、岩山に向かって次々と石を移っていく。グヮモンはその様子を無言で見つめていた。
サロアは危なげなく岩山にたどり着いた。
サロアの目の前では相変わらず岩山が炎を吹き上げている。サロアは炎をじっと見つめた。
「…!」
そして、腕を炎の中に素速く突き入れた。
一瞬、炎が激しく光を放った。岩室がまぶしい赤の光に包まれる。
サロアは、そのまま、ゆっくりと手を引き抜いていった。驚いたことに、火傷一つ負っていない。
やがて、サロアの手が炎の中から完全に引き出された時、サロアは拳大の宝珠を掴んでいた。
宝珠は真紅に輝いていた。宝珠は火炎に模した紅の土台に支えられており、まるで吹き上げる炎に浮かんでいるかのようにも見える。
「あれが、火の宝珠…」
グヮモンが呟く。その笑みの浮かんだ顔を、炎が赤く照らしていた。
まだ山の頂には雪が残る頃。ソール=テア=ナンタの遥か地下深くで、こうして火の宝珠はその永い眠りから再び目覚めることになったのである。
- 第4章おわり -