ジュヴナント、ルシア、トットの三人は、大森林の入口にたどり着いた。タトナの街を出てからちょうど三日目のことである。
彼らの目の前で、コムラタ川が薄暗い森の中からゆっくりと流れ出ている。川の細い流れを木々が覆い隠しているかのようだ。すでに陽は高いが、森の中は薄暗い。
「こ、ここに入るのかよ…」
泣きそうな声でトットは呟いた。
「何言ってるの。男の子でしょう?」
だが、そう言うルシアの声も心なしか震えているようだった。
「けどさぁ…」
「行こう」
トットの言葉をさえぎるかのように、ジュヴナントが言った。
魔女が住むという離れ山は大森林の中程にある。まだここからさらに険しい森の中を北へと向かわなければならない。
ジュヴナントは川沿いの獣道に足を踏み入れると、森を奥へと向かって歩いていった。ルシアとトットも仕方なくその後に続いた。
目指すは、離れ山。魔女の住むという館。だが、その道のりはまだまだ長かったのである。
道は川に沿って緩やかに蛇行しながら先へとのびていた。下生えの草が道をふさいでいる場所も何ヶ所かあった。
鬱蒼と生い茂る木々が太陽の光を遮っているため、あたりは薄暗かった。たまに、気紛れな木洩れ日が細い獣道沿いの草を照らす。
遠くから獣の遠吠えや小鳥のさえずりが聞こえる。
森を渡る風が、木の葉を揺らしながら過ぎていった。
一枚の葉が宙に舞った。
ドウッ!!
突然、ジュヴナントの目の前の地面がふくれ上がり、激しい勢いで四散した。
『…!』
ジュヴナントは空中に投げだされた。
そのまま、したたか背中を木にぶつける。しばらくは、息もできなかった。
ジュヴナントは痛みをこらえつつ、ふらつきながら立ち上がった。腰の剣に手をかける。
何がおこったのかは分かっている。呪文による攻撃だ。こんな近くまで敵の接近に気付かなかった自分に舌打ちをしたくなる。
あたりは、土煙がもうもうと立ちこめていて、ここからではルシアとトットがどうなったかを知ることはできない。
「ちっ…。はずしたか…」
不意に、目の前で声がした。
ジュヴナントの前に、土煙を割って、一人の女性が現れた。
女性は、両肩の出た紺の服を着ていた。同じ紺のゆったりとしたパンツは足首のところできゅっと絞り込んである。胸には赤い宝石のついた金のネックレスが揺れていた。
長めの栗色の髪は、後ろでアップにして赤いリボンで固く止められている。
しかし、ジュヴナントの目はその女性の顔に釘付けになっていた。
栗色の髪。薄茶色の瞳。とがり気味のあご。そして…。
「だが、今度は外さない」
圧倒的に有利な状況の中、彼女は薄笑いを浮かべてそう言った。
「なぜ…」
ジュヴナントはそれ以上言葉が出てこなかった。
忘れるはずがない。もう五年が経とうとしていたが、間違えるはずがなかった。
「ミシャ!」
やっとの思いで、ジュヴナントは叫んだ。
「ん…?」
彼女の動きが止まる。
「ミシャだと? 何を言っているんだ。私の名前はミリアーヌだ。ミシャではない!」
ミリアーヌと名乗る女性は苛立たしそうに叫んだ。
「そんな。ミシャ、いったいどうしたんだ?」
ジュヴナントが叫び返した。
「私はミシャなどではない!」
大声で否定する。だが、ミリアーヌの心の中には何かがひっかかっていた。それが彼女を猛烈に苛立たせていた。
『どうしたんだ…? こんなことで心を乱されるなんて…?』
頭の奥が痛む。
全ては目の前のこの男のせい…。
「ミシャ!」
ジュヴナントが叫ぶ。
「違うと言っている! いい加減にしないか!」
ミリアーヌは両手を天にかざした。二本の腕の間に雷光が走り、次第に球状に成長し大きくなっていく。雷光が、雷の光球となって輝く。
「死ねーっ!」
ミリアーヌはジュヴナントに向かって、思いきり両腕を振り下ろした。
雷の光球はジュヴナントめがけて一直線に飛んだ。
「ぐっ!」
ジュヴナントは目を見開いたまま、立ち尽くした。まだ、体は言うことを聞かない。
光が空気を切り裂き唸りを上げる。
と、ジュヴナントの前に人影が飛び込んだ。
「ルシア!」
ジュヴナントが叫ぶ。
「そうはさせない!」
ルシアは素速く両手を前に突きだした。
「きゃっ!」
雷の光球は、激しい光を放ってルシアの前の見えない壁に衝突すると、横に大きく進路を変えられた。光球は森を突き抜け、爆発した。だが、ルシアも雷球の衝撃で後ろへと大きく飛ばされていた。
「ちぃ!」
ミリアーヌは目の前の少女を見た。
自分よりは二、三歳は年下であろう。そんな少女に自分の攻撃がかわされたのだ。
そして、ジュヴナントをかばうかのようにして立っていることも、なぜかミリアーヌを苛立たせていた。
「ふん…。よく今のをかわしたな」
吐き捨てるようにそう言うと、再びミリアーヌは呪文を唱えた。ミリアーヌの髪が波打ち、衣服の裾もはためきだした。
「だが、次はそうはいかない」
ミリアーヌの体がゆっくりと宙に浮き、地上から三メートル程のところで静止した。
ジュヴナントとルシアは茫然とその様子を見つめていた。
「ミシャ、どうしたんだ? 何があったんだ!」
ジュヴナントが叫ぶ。だが、その叫び声も彼女の心には届かない。
「クルスタ ウィルアザルト ア エンダ クロスディアム…」
ミリアーヌは新たな呪文を唱和した。それにつれて、ミリアーヌの手の中の光球は確実に大きさを増していく。先程とは比べものにならない規模…。
『まだだ…』
近くの叢の影で、トットはパチンコを構えたまま、じっと機会をうかがっていた。
光球の光が顔を照す。緊張で固くなっている額を一筋の汗がつたった。
光球はさらに輝きと大きさを増していく。
「な、なんて大きさなの…」
肩で息をしながら、ルシアが呟く。あれ程のものをかわす自信などなかった。
呪文の唱和が終わった。
ミリアーヌは冷たくにやりと笑った。
「これで終わりだーっ!」
ミリアーヌが全身の力を使って腕を振り下ろす。
「ミシャ!」
ジュヴナントが叫ぶ。
だが、雷の力を秘めた光の渦は、ジュヴナントたちに向かって一直線にのびていった。
すべてを飲み込む破壊と殺戮の輝きをまき散らしながら。一直線に。
ジュヴナントの頭の中で、不意にあの遠い日の光景がフラッシュバックした。
ミシャ・エドバンド -
忘れもしないあの春の日。
ジュヴナントたちの生まれ育った村は、ある日一瞬にして壊滅した。今となっては、何がどのようにして起こったのかは定かではない。ジュヴナントとミシャが森から村に戻った時は、もうすべてが終わった後だったのだ。
村の建物という建物は破壊され、あちこちの焼け跡からは細く煙がたなびいていた。
まさに、悪夢だった。
見慣れた村が一日もたたないうちに消えたのだ。
ただ、不思議なのは、死体も含め村人の姿が一人も見当たらなかったことである。
彼らは、その日を村近くの森の中で過ごした。それ以上、村の無惨な様子を見ることに耐えられなかったからだ。
そして、長かった一日が終わり、再び朝を迎えた時、ミシャの姿はもうどこにもなかった。ジュヴナントに行き先も告げぬまま、一人旅立ったのだろう。
その日、ジュヴナントは村の中を歩き回った。
ミシャのことは気掛かりだった。しかし、このまま村を出ていく訳にもいかなかった。いったい何が起こったのか? それを突き止めなければならないと思ったからだ。
だが、結局、ジュヴナントはこれといったものは何も見つけることはできなかったのである。
そして、ジュヴナントは冒険者となった。
ミシャを探すため。そして、壊滅した村の謎を解くために…。
そして、五年の歳月が流れた…。
- つづく -