竜騎士伝説

Dragon Knight Saga

第3章 出会い その2

「ありがとうごさいました。何とお礼を言ったらいいのか…」
 若い女性は何度もそう言って頭を下げた。
 あの騒ぎの後、ジュヴナントは女性と少年を騒ぎのあった店の中に案内した。
 木製の丸い机が六、七個あるだけの狭い居酒屋だ。店の奥には、宿屋をかねているのだろう、寝室のある二階へ続く古びた階段があった。その階段の前では、銀髪の若い吟遊詩人が店の客を相手に歌を歌っている。客は全部で一五、六人といったところか。まだ陽も高いせいだろう、席にはいくつか空席が目立った。
 彼らは扉を入ってすぐの窓際の空いていたテーブルの一つについた。
 彼女の名前は、ルシア・オーセフ。ルシアがかばっていた少年は、トーツラルア・フィアセンという名前であった。
「トーツラルアじゃ長いだろ? だから、みんなトットって呼ぶんだ」
 少年は屈託なくそうも言った。
 そもそもの事の起こりは、厳つい男たちが言っていたように、トットが彼らの財布を盗もうとしたことにあった。トットはその場で男たちに取り押えられ、表へと引っ張りだされた。そこに、一部始終を見ていたルシアが飛び込んだという訳である。
「しかし、トット。ルシアさんがいなかったら、おまえは今頃、地面の上に転がっていたんだぞ」
 ジュヴナントはトットの方を向いて言った。
「盗みなんかをすれば、そんな目にあっても、文句も言えないんだからな」
「…仕方ないことさ」
 だが、トットはあっさりとそう言いきった。
「そうでもしなきゃ生きていけやしないんだもの。おれのような孤児には仕事なんて誰もくれないし。それくらいしか方法がないんだから」
 戦乱やモンスターの襲撃などによって親を亡くして孤児となる子供は多い。だが、彼らを受け入れるだけの社会基盤などなきに等しいのだ。となれば、結局は自力で生きて行くしかない。
 それは、ある種、悲愴感を超えた明るさだった。
「だからって…」
 その言葉に、ジュヴナントはそれ以上、何も言うことができなかった。
 しんとした空気が流れる。
「でもやっぱり盗みはいけませんよ」
 と、トットの頭の上から突然声がした。
 そこには穏やかな微笑を浮かべた若い青年の姿があった。先程から奥で歌を歌っていた吟遊詩人だ。肩まで伸びたまっすぐな銀髪。体型はやや痩せ形で、身長はジュヴナントとほぼ同じぐらいだろう。吟遊詩人をするだけあって、柔らかく澄んだ声を持っている。
「あ、申し遅れました。私はアルバトロ・シーモア・クレスタと申します。クレスタと呼んでください。見ての通りの流れの吟遊詩人です」
 そう言って再び微笑むと、彼は手にしていた竪琴をポロンとかき鳴らした。
「店の前での決闘は見せていただきましたよ。いや、すごい腕前ですね」
 クレスタはそう言ってジュヴナントの方に顔を向けた。
「いや、クレスタさん。まだまだ、それほどでもないですよ」
 にこやかにこたえながらも、ジュヴナントは吟遊詩人クレスタの顔から目が離せなかった。もちろん吟遊詩人をするくらいなのだからかなりの美貌なのだが、今はそんな理由ではない。クレスタの瞳は左右の色が異なっていた。左がエメラルドグリーン、右がサファイアブルーのヘテロクロミア。ジュヴナントも実際に見るのはこれが初めてだった。
「でも、盗みをするなってさ…」
 納得のいかないような口調でトットが言う。
「でも、もうこれで、この街にはいられないのでしょう?」
 クレスタの言葉にトットは答えない。
「そうやって一生逃げ回ることもできないし。もしそれができたとしても、最後には結局いる場所がなくなってしまいますよ」
「じゃあ、どうすればいいのさ?」
「自力で生きていけるような技術を身につけるんですよ」
「え?」
「冒険者なんかはどうです? ここにいい先生がいますから」
 クレスタはジュヴナントの方を指し示したまま、トットに魅力的な微笑みを向けた。
「ちょ、ちょっと…」
 立ち上がったのは、ジュヴナントとトットも同時だ。
 その時、突然、それまでじっと下を向いていたルシアが口を開いた。
「ジュヴナントさん、お願いがあるんですけど…」
「えっ? 何ですか?」
 ジュヴナントは振り返って尋ねた。
「できれば、私も連れていってもらいたいんです」
「ちょっと待ってください。おれは冒険者ですよ。物見の旅をしている訳じゃないし。多くの危険もあるんですよ」
 ジュヴナントはあわてて説明する。
「そんなことは分かっています。危険は承知の上です。私も冒険者ですから。こう見えても、私は僧侶の資格を持っているんですよ。もっとも、冒険者になってからまだ一ヶ月くらいしかたっていませんけどね」
 ルシアはそう言って笑った。
「しかし…」
 ジュヴナントは何とも答えかねていた。
「いいじゃないですか。旅は多い方が楽しくていいっていいますよ」
 クレスタがルシアに助け船を出す。
 トットにしても、もうこの街にいられないのは事実だ。冒険者になるならないは別として、いい機会であることだけは分かっていた。それに早く街を出ないと、先程の男たちがまたいつ復讐にくるかも分からない。元々選択肢は多くないのだ。決断せざるを得ない。
 もちろん、ルシアが一緒に行く気なのは、誰の目にも明らかだ。
 何か、学校の先生でもしてる気分だな…。
 ジュヴナントは、ぽつりとそう考える。
 断れる話でないことも分かっていた。
 ふぅ…。
 ジュヴナントはため息を一つつき。
「…分かりました。いっしょに行きましょう」
「ありがとうございます、ジュヴナントさん」
 ルシアは満面に笑みを浮かべて礼を言った。
「ジュナでいいですよ」
 ジュヴナントもつられて微笑んだ。

 こうして、ジュヴナント、ルシア、トットという即席のパーティが誕生した。
 三人は、それぞれに旅の準備をすませると、街外れの宿で夜を明かした。
 そして、朝日が昇るのと同時に、タトナの街を出たのだった。
 その様子をクレスタは宿の二階の窓から一人眺めていた。
「さてこれで、彼ら三人が出会いました。次は誰でしょうか?」
 さわやかな朝日が彼の顔を照らす。
 だが、彼の呟きを聞く者はいない。


「まだか…。遅いな…。本当に奴らはこの道を通るのか?」
 木の上、深く重なり合った葉の影の中で、そっと呟く者があった。だが、それに答える者などいるはずもない。
 突然、風が木の葉を揺らした。
 ささやかな木々のざわめきの後には、ただ静寂だけが残された。
 木の葉が一枚、舞い落ちた。


 その風は、森の上をすべるように渡り、さざ波のように木の葉をきらめかせながら駆けていった。
 離れ山の中腹の館のテラスで、一人の女性がその様子を眺めていた。
 彼女は、ドレスのような黒い服に身を包み、手に細長い金色のキセルを持っていた。うねって流れるような黒髪が肩から腰にかけてを覆っている。長いまつげに縁取られた切れ長の目が、森の様子をじっと見つめていた。
「風…。北風か…。まさか、霧の大渓谷か…」
 彼女は北へと目を転じた。
 そこには、霧の大渓谷<キーナレン=テア=グルナ=デ=ヴァンフォント>がいつもどおりの姿で横たわっていた。
 霧の大渓谷…。その名の通り、年中深い渓谷を濃い霧が覆っている。彼女ですら、まだ一度も霧が晴れるのを見たことはない。そしてその姿は、今日もいつもと変わらない。
「まさかな…」
 彼女は口の端に自嘲気味の笑いを浮かべると、館の中へと向きを変えた。
 が、その時、視界の隅にかすかな光を見たような気がした。
「…何だ?」
 彼女が訝しんだ瞬間、重い音とともに、大地が振動するのを感じた。
「…!」
 彼女は衣服の裾をはためかせて窓に向き返った。
 ちょうど、新たな火球が森の中に出現したところであった。火球は森を抜けて大きくふくれ上がると、急速にその大きさを減じた。だが、その後を追って、衝撃波がまわりの木々を薙ぎ倒すかのようにして広がっていった。
「何者だ!」
 彼女はそう叫んで、その場から姿を消した。

- つづく -