「だぁっ!」
気合いを込めてジュヴナントはまっすぐに斬りかかった。だが、男はジュヴナントの剣を軽く受け流した。
「まだ甘いな」
男が剣を横に払う。
「!」
ジュヴナントは慌てて後ろへ跳んだ。服の前が切り裂かれている。
「どうした? この狭い場所では、自慢の長剣も思うようには振り回せまい?」
男は微笑むと、じりじりと間合いを詰めてきた。
「くっ…。たぁっ!」
再びジュヴナントが斬りかかる。男も身を低くして剣を構える。二人の体が交錯した。
「…ぐっ…」
ジュヴナントは左腕を押さえた。赤く血がにじむ。男の剣はジュヴナントの上腕部を大きく切り裂いていた。
「次ははずさんぞ」
黒衣の男は、さも嬉しそうにそう言うと、剣を構えたまま、慎重に間合いを詰めてくる。
彼の剣と剣技は、まさにこういう閉鎖された場所で闘うためのものであった。広場のような広い空間とは違って、こんな狭い場所ではジュヴナントは剣を自由に動かすこともままならない。ここではジュヴナントの攻撃パターンはかなり限定されたものになってしまう。
「くそっ…」
ジュヴナントは後ずさりした。
「…っ!」
だが、背中が牢に当たる。これ以上はもう後ずさりもできない。
「これで終わりだ」
男が剣を振り上げる。その瞬間。
シュン…
「がぁっ!」
黒衣の男は牢を睨みつけた。男の左股にアルの投げたナイフが深々と突き刺さっていた。つい先程、ダンの命を奪ったばかりのナイフだ。そして、アルも無言で頭を睨み返している。
「…アル、きさま…」
男の意識がジュヴナントからそれたその一瞬。その一瞬の隙をジュヴナントは逃さなかった。
「はっ!」
ジュヴナントは剣を体の前に構えたまま、男に体当たりした。
グスッ…
剣が男の胸の中央に突き刺さり、背中から顔を出す。
「…う…がっ…、き、きさま…」
男は激しい憎悪の目でジュヴナントを睨んだ。だが、それだけだった。
男はそのままジュヴナントの剣とともに石床に倒れ込んだ。流れ出た血が次第に海をつくっていく。
…はぁ…はぁ…
ジュヴナントは肩で息をしながら、壁に背をつけ崩れ落ちるように座りこんだ。
ちょうどそこへ、騒ぎを聞きつけた衛兵たちが駆け込んできた。
「ダリオット殿を…ダリオット殿を呼んでくれ」
ジュヴナントは壁にもたれかかったまま、驚いている彼らに向かって叫んだ。
しばらくして、ジュヴナントは謁見ノ間に通された。
あの状況でジュヴナントの話を信じてもらえたのは、幸運としか言いようがない。
だが、城内へ暗殺者の侵入を許したこと。そして、城の中で三人の人間が死んだこと。その現実は重い。
「御苦労じゃった、ジュヴナント。礼を言おう。おぬしがいなかったら、どうなっておったか…」
国王クワラル三世は椅子に座ったままそう言った。だが、その顔からは以前の微笑みは消えていた。国王の左右にはジェンラウァをはじめとした大臣たちが控えている。
「重ねて何か礼をせねばな」
「…国王様、一つだけ尋ねたいことがございます」
ひざまづいたままジュヴナントは顔を上げた。ダリオットは、そんなジュヴナントを見た。
「何じゃ?」
クワラル三世が尋ねる。
「最近現れたという魔王のことです」
ジュヴナントの静かな、それでいて凛とした声があたりに響いた。
クワラル三世は無言でジュヴナントを見つめた。
「私は、どうしてもそのことを知りたいのです。知らなければならない気がするのです」
そう言って、ジュヴナントは語りはじめた。
霧。不思議なほこら。光の中の女性。そして、あのドラゴンとの闘い…。
いつしか、ダリオットをはじめとして、クワラル三世、ジェンラウァたちは全員声もなく目を丸くしたままジュヴナントの話に聞き入っていた。
「そういうことであったか…」
長い長い沈黙を破って、クワラル三世が話し始める。
「ならば、あのときのことも知っておいた方がよかろう」
時をさかのぼること約五ヶ月前。ジュヴナントらがドラゴンと闘う四ヶ月ほど前のこと。
場所はベルタナス王国の王都ナムラ。王城に急遽作られた会議ノ間。
「伝説の魔王ですと!」
「どうしてそんな…」
会議ノ間は再び喧噪につつまれた。
詳しい話はこうだ。
王宮専属の占い師おばばが一つの予言を残した。
『…伝説の魔王が生を受けた。天から火が降る時、冥界の門開き、太古の魔王よみがえらん。地は轟き、海は裂け、日は陰り、絶望が支配せんとす。彼の者集いし時、神々地に墜ち、全てが無に帰す…』
王宮のおばばは王国の中でも最も力を持つ占い師であったし、それ以上に王国の創生期から伝わる水晶玉を使ってのことである。この予言が間違っているとはとうてい思えない。
さらに人々の不安をあおったのは、この予言をした王宮のおばばはが予言をした直後に死んでしまったことだ。水晶玉がいきなり割れ、おばばは机に突っ伏してそのまま…という。
伝説の魔王がとうとう現れた!
その名は大陸全土に知られている。ただし、誰もがそれは神話上のものであると信じていた。
その魔王が現れたのかもしれない。
それは人々の中に恐慌を生み出すのに十分すぎる衝撃だった。
昨今、出現する魔物の数が急増しているのは皆が知っていた。その事実が、魔王の予言に現実性を与え、人々の混乱に拍車をかける。
広間の人々にパニックが広がろうとした、その時。
「静かにせんか!」
タルカサスの怒声で、皆が我に返った。
「まだ国王様の話は終わっておらん…」
タルカサスはそれだけ言うと、再び口を閉ざした。その姿に人々もいくらかは落ち着きを取り戻したようだ。
まわりが静かになったのを見計らって、クワラル三世が話を続けた。
「皆のもの、すでに魔物に滅ぼされた町もある。我々も町や村を守らねばならぬ」
あたりは水をうったかの様に静まりかえっていた。誰も口を聞くものはいなかった。国王クワラル三世の声だけが辺りに響いていた。
今までとは事態の深刻さが変わってくるかもしれないな、とダリオットは思う。
「もしも、本当に魔王がよみがえったのならば…」
だが、クワラル三世にはいくらか異なる見解があった。おそらく、タルカサスやジェンラウァも同様であろう。だが、そのことについてはクワラル三世は何も言わなかった。
「すでに戦いは始まっておる。退くことはできん。これは負けることが許されない戦いじゃ。いずれ他の国々も立ち上がらざるを得なくなろう。もはや選択の余地はないのじゃ」
「我々に勝ち目はあるのですか?」
大臣の一人ジェンラウァが尋ねた。
「勝たねばならん」
クワラル三世にかわって、白髪の老魔法使いルーンヴァイセムが答えた。
「たしかに、こちらの方が不利かもしれん。しかし、希望がないわけではないぞ。『闇ある所、また光あり』じゃ。光は必ずどこかで育っておる」
「我々は、待たなければならないのですか。しかし、待つだけの戦いは、辛いもの…ですよ」
ジェンラウァはルーンヴァイセムとタルカサスを交互に見た。タルカサスは無表情であったが、ルーンヴァイセムは微笑みを浮かべた。
「もちろん辛い戦いになるだろうが、皆の者、頼むぞ」
誰もが、クワラル三世のその言葉を胸に刻んで部屋を出たのだった。
「だが、残念だがわしにも予言以上の詳しいことは分からんのじゃ…」
クワラル三世はすまなさそうにそう言った。
「そうですか…」
その言葉に、ジュヴナントは落胆の色を隠すことができなかった。
「もしかすると…」
と、ジェンラウァが二人の会話に割って入った。
「昔、北の大森林にある離れ山に魔女が住んでいるという噂を聞いたことがあります。…もしかしたら、彼女なら詳しいことを知っているかもしれません…」
「それは本当ですか!」
ジュヴナントはジェンラウァに詰め寄った。
「さあ…、私も実際に会った訳ではないのですから…」
ジェンラウァは、そう言葉を濁した。
だがその時、ジュヴナントの心は決まった。
「行くのか、離れ山に?」
ダリオットが心配そうな顔で尋ねる。
ジュヴナントは、大きく頷いた。
- 第2章おわり -