二人を迎えたナムラの城は、蜂の巣をつついたかのような騒ぎだった。
「まったく、刃物に毒が塗ってなかったからいいようなものを…」
ダリオットは城の一室で傷の手当てを受けていた。その脇で、ジェンラウァがまくしたてる。
「まあ、無事ですんだんだ。これを感謝するしかないだろう?」
心配そうなまわりとは対照的に、ダリオットは明るく振る舞っていた。つい先程まで、生命の危機にさらされていたとは思えない。
ジュヴナントはつい微笑んだ。そこには、暗く深刻になりそうな雰囲気を何とか明るくしようというダリオットの気持ちが見てとれるからだ。
突然、扉が勢いよく開いた。
「ダリオット! 無事じゃったか」
部屋へ小姓を引き連れて入ってきたのはクワラル三世、この国の国王である。
深く年齢が刻まれたその体は、だがジュヴナントが想像していたよりずっと小柄だった。
「父上、見ての通りですよ。そこにいる彼のおかげで、かすり傷程度ですみました」
ダリオットは笑って、ジュヴナントを指し示した。
ジュヴナントが慌ててクワラル三世の前にひざまづく。
「おお、確か…ジュヴナントとかいったのぅ。礼を言うぞ」
クワラル三世は、一息つくと言葉を続けた。
「礼といっても特に何もできんが、何か望みの物があればできる限りの物は与えようぞ。まあ、慌てることはない。また後で会うことになろうからの。それまでに考えておけばよい」
クワラル三世はそこまで言うと、さも嬉しそうに微笑んだ。そして、表情を引き締めてダリオットの方に向きかえる。
「ダリオット、話がある。後で来るがよい」
「はっ」
ジェンラウァは表情を固くした。
だが、ダリオットには話の内容は分かっていた。この前、ジェンラウァに言われたことだ。もう決心はついていた。今さら迷うことなどない。
クワラル三世は彼らに背を向けると、来た時と同じように足早に帰っていった。
ジュヴナントらは、その後ろ姿を見送った。
「さて、おれは行かなければならんな…」
ダリオットは手当てが終わると、立ち上がって言った。
「どうだ、ジュヴナント。こんなところで待っていても退屈だろう? この機会に城の中を見ていこうとは思わんか?」
「ですが…」
ジュヴナントは、ダリオットの意外な言葉に戸惑った。
「かまわんさ。誰かをいっしょに行かせよう。それでいいだろ、ジェラ?」
ダリオットはジェンラウァの方を向いた。
「ま…まあ、そういうことならかまいませんが…」
ジェンラウァは少し困ったように答えた。
「と、いうことだ。少し待っていてくれ」
ダリオットは笑って出ていった。
…これは、見て行くしかなさそうだな。
押しの強いダリオットに、ジュヴナントは心の中で苦笑した。
「それでは、どこへ行きましょうか、ジュヴナント様?」
ダリオットがジュヴナントのために呼んだのは、背の高い髭面の男だった。一見、ふつうの衛兵のような格好をしているが、そうではあるまい。薄手の鎧の下に隠されている鍛え抜かれた肉体は、彼が少なくもどこかの小隊長クラスの人間であることを示している。
…まったく、そんな人を付けてくれなくても…。
そこに、ダリオットの心配りのよさがうかがえるというものだ。
…しかし、ダリオット殿もしっかりしている。
彼のような人間をジュヴナントの共に付けたのである。それは、彼がジュヴナントの監視役でもあることを示していた。彼ならジュヴナント相手でも何とかなるだろう。そんな思いがあるのだ。ジュヴナントは苦笑した。
「そうですね…」
二人はナムラ城の長い廊下を歩き始めた。
「名前は何というんですか?」
ジュヴナントは男に尋ねた。
「私ですか? 私はロキアといいますが」
「じゃあ、ロキアさん」
「はい?」
「街で私たちを襲った連中に会ってみたいのだけれど…。できますか?」
「え、ええ。別にかまいませんが…」
ロキアは驚いたように言った。
「彼らに会うんですか?」
念を押すようにロキアは聞き返した。
「覆面をしていたので、顔は見てないんですよ」
「は、はぁ…。分かりました。牢の中ですが、こちらです」
ロキアはジュヴナントの前に立って城の廊下を歩きだした。
「そこの牢の中にいるのが、例の連中です」
ロキアは地下牢の前まで来ると、とがり気味のあごで角の牢を指し示した。
「彼ら…ですか」
ジュヴナントはロキアの前に出た。
牢の中にいたのは、男二人と女一人であった。三人ともまだ十代であろう。まだどこかに子供らしさを残したかのような顔だちである。思っていたよりも遙かに若い。彼らのような者がダリオットを襲ったとはにわかには信じられなかった。
一人の青年は、濃い褐色の長髪をオレンジ色のバンダナでとめていた。身長は一七〇センチ程であろう。対して、明るい茶色の髪を短く刈り上げている青年は、彼よりも頭一つ分背が高かった。彼の方が、どちらかというと筋肉質の体つきだ。また、栗色の髪を後ろで束ねている少女は、鳶色の大きな目をしていた。彼女の年齢が一番低いのだろう。三人の中では最も小柄であった。
三人とも褐色の肌をしていた。その肌の色は彼らが南方の出身であることを示していた。西部地域<ヴェンディ>ではなく、大大陸の南部地域<ラザリ>の民族の出だ。
三人は牢の中で思い思いに石床に腰をおろして、牢の外に現れたジュヴナントらを睨んでいた。
「意外…。そう思いませんか?」
「…」
だが、ロキアの返事はなかった。怪訝そうにジュヴナントは振り向いた。
「ロキアさん?」
そこにジュヴナントが見たのは、無言で立ち尽くすロキアの姿であった。
と、突然、その体が揺れた。ロキアは膝をつき、崩れるようにそのまま床に倒れ込んだ。
「…!」
その後ろから現れたのは…。血の滴るナイフを手にした黒衣の男!
一瞬のうちに緊張が走る。
街でダリオットを襲った一味の一人だ。
「何者だ!」
ジュヴナントはとっさに剣を抜いて身構えた。
「ふっ、私も運がいい。かりを返す機会がこんなに早く訪れるとは…」
黒衣の男は黒い覆面の下でかすかに笑うと、ナイフを一振りして、血を払った。ロキアは首の後ろを一突きされていた。致命傷である。
男がジュヴナントの方へ足を踏み出した。
「頭っ! 助けにきてくれたんですか!」
バンダナの男が格子に駆け寄って叫んだ。残りの二人も立ち上がった。
そうか…。こいつが…。
ジュヴナントは理解した。
彼がダリオット王子を襲った集団の頭領であるらしい。それにしても、警備が厳重であるはずの城に単身忍び込むとは…。
「ふっ…、はっはっはっはっ。まったく脳天気な奴らだ」
「?」
ジュヴナントが訝しんだ。その瞬間、黒衣の男は手を軽く横に振った。
ヒュッ
牢の中のバンダナをした青年は、その時、何かがほおをかすめるのを感じた。
「えっ…?」
「…っが…あ…」
後ろで、息がもれるような声がした。慌てて振り返る。
「…っ! ダン!」
茶色の短い髪を持つ青年ダンの喉元に、ナイフが深々と突き刺さっている。先程まで頭の手の中にあったものだ。
「…か…し…、どう…し…て…」
ダンは目を見開いたまま、ゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。二人がその体を支える。
「ダン! しっかりしろ! ダン!」
彼らが必死に呼びかける。
「…ア…アル、…マリー…」
ダンはうつろな目でうっすらと微笑んだ。だが、それが最期だった。ダンの体が急に重くなる。
「…頭ぁ。どうして…」
ダンの体を静かに横たえながら、アルは絞り出すような声で言った。その肩が小刻みに震えている。
「甘い奴らだな。我々が敵に捕まるような愚か者などに情けをかけるとでも思っていたのか? なぁに、心配することはない。すぐに、お前らも後を追わせてやるさ」
黒衣の男は、ジュヴナントから目を離さずにそう言うと、腰から一振りのショートソードを抜いた。ジュヴナントの剣よりも二まわり以上小さく細い。
「だが、まずはお前からだ」
黒のフードの下から陰湿な笑いが顔をのぞかせる。
「外道め…」
ジュヴナントはそう呟くと、剣を中段に構えた。この男が城に忍び込んだのは、捕まった仲間を助けるためではなく、その口をふさぐためだったのだ。こんなにも怒りを感じたのは久しぶりだった。
- つづく -