竜騎士伝説

Dragon Knight Saga

第2章 王都ナムラ その3

 ナムラの街は、あいかわらず賑やかだった。さすがにベルタナス王国の王都だけのことはある。
 中央広場に通じる大通りには、城の許可を得た数多の行商人たちが思い思いの店を広げていた。カラフルなテントの色が大通りの両脇を彩っている。道行く人々は、立ち止まっては、いろいろな品物を冷やかし半分で手に取り、店の主人との愚にも付かない会話を楽しんでいた。
 ジュヴナントはそんな人々を見回しながら、人込みをぬって広場へと歩いていった。
 まさに、平和そのものであった。
 と、その時。
「きゃーっ!」
 突然、通りの一角で誰のとも知れない悲鳴があがった。
 空気が一瞬にしてざわめく。
「!」
 急いで、ジュヴナントは声のした方へと駆け出した。


『…もう、当分はこうやって出歩くこともできないのだろうな…』
 ダリオットは、ため息混じりに呟いた。
『だが、それも仕方のないことかもしれん…』
 ダリオットは、一人でこっそりと城を抜け出していた。当分見ることもできないであろう街の様子を、心に刻んでおきたかったのだ。見慣れているはずの風景も、こうして見ると、みんな愛しく感じられてしかたがなかった。
 本当ならば、馬でも駆って野山を駆け巡りたいところであったが、さすがにそこまではできない相談だった。
 何一つ見逃すまい。そう心に誓う。
 それは彼にとって自由との決別の儀式でもあるのだ。

 それは突然のことだった。丁度、大きな赤いテントの店の前にさしかかった時であった。
 ダリオットは、店の奥の品物を見ようとして身を屈めた。
 と、視界の隅で、何かがきらめいた気がした。
 ダリオットが反射的に身をかわしたのと、黒衣の男が短剣を突き出したのは、ほとんど同時だった。短剣は、さっきまでダリオットがいた所の空気を切り裂いた。
 群衆から悲鳴があがる。
「何者だ!」
 ダリオットが叫んだ。
 だが、答が返ってくるはずもない。
 さらに同じような格好をした者たちが、ダリオットのまわりを囲むかのようにして現れた。皆、同じような黒衣を着、黒の覆面をして、何かしらの刃物を持っている。
 群衆はどうすることもできず、ただ黒衣の者たちの外で輪になっている。
 市の警備隊を呼びにいった者もいるだろうが、だが、間に合いそうにない。
『…チッ』
 ダリオットは、腰の中剣を抜きながら、自分の行為のうかつさに舌打ちした。
 自分を必要とする人間が増えるということは、同時にそれを快く思わない人間をも増やすのだ。自由を失うということだけではない。さらなる危険をも生み出すのだということを忘れていた。ジェンラウァが、クワラル三世が言おうとしたのは、まさにこういうことだったのだ。
 だが、もう遅い。
 今考えなければならないのは、この局面をいかにして乗り切るかということだった。
『全部で…六人か…』
 あまり望みが持てる人数ではない。いくら何でも、一人で相手にするには荷が重すぎる。
 ダリオットは慎重に敵との間合いを測った。
『とにかく、この囲みを脱出しないことには…』
 ダリオットは突然足元の小石を蹴った。小石が正面の男の顔に命中する。
「…!」
 相手は一瞬その石に気を取られた。
 その隙を逃すことなく、ダリオットは正面の敵に打ってかかった。
 が、相手も素人ではない。その証拠に、すばやく剣を受け流すと、すぐに体勢を立て直した。
 ダリオットは、その脇を抜けようとした。
 だが、一瞬遅かった。別の男が、ダリオットに剣を突き出す。
 ダリオットは思いきり身をよじった。だが、剣はダリオットの二の腕をかすめていた。腕から細い筋となって鮮血が滴り落ちる。
「ぐ…!」
 その間にダリオットは再び敵に囲まれてしまっていた。
 相手も、もう不意を突かれるようなことはすまい。事態は、ダリオットにとってさらに絶望的に進んでいる。
 黒衣の者たちは、一斉に剣を構えた。ダリオットの額を一筋の汗がつたう。
 その時である。
「待てーっ!」
 群衆を切り裂いて声がした。黒衣の者たちも、つい、そちらに気を取られた。
「今っ!」
 ダリオットは彼らの一人に突っ込んだ。
 敵も急いで我に返り剣を構える。だが、今度はダリオットの方が一瞬速かった。ダリオットは相手の剣の横に回り込むと、男のみぞおちに剣の柄をぶちこんだ。
「ぐっ…」
 くもぐった声をたてて、男が倒れる。
「!」
 それを見た仲間が慌ててダリオットに剣を振り下ろした。
 だが、剣はダリオットに届くことなく、先程の声の主に途中で受け止められていた。
 彼は、ダリオットに一瞥を投げながら、相手の剣を払った。敵の体が泳いだところをねらって、その後頭部に手刀を当てる。敵は音もなく崩れ落ちた。
 鳶色の瞳と髪を持つ青年戦士。ジュヴナント・クルスだ。
「…!」
 突然の乱入者に、黒衣の者たちの動きが乱れた。ジュヴナントのことは、彼らの予想外の出来事だったのだ。しかも、たちまちのうちに仲間が二人も倒されてしまっている。
 彼らは、明らかに動揺していた。
 そんな隙をダリオットも逃しはしなかった。
 ダリオットは、茫然としている黒衣の敵の一人のみぞおちに拳を打ち込んだ。
 気付く暇もあらばこそだ。敵は一撃で昏倒した。
「よそ見は禁物だぜ?」
 倒れる敵の体を支えながら、ダリオットも軽口をたたいた。それは、強力な援軍が現れたことによる、心の余裕だろうか。
 別の男が、ジュヴナントに打ちかかる。
 しかし、ジュヴナントは下から何なくその剣を薙ぎ払った。剣は男の手を離れて宙に舞い、大通りの石畳に転がって、乾いた音をたてた。
 黒衣の男が慌てて飛びすさる。
 男は手を押さえながら、この二人を見た。
 …格が違いすぎる。
 あっという間に、味方の半数が倒されたのだ。この二人を、残りの三人だけで相手することは不可能だった。すでに形勢は逆転していた。
 彼の合図で、彼らは群衆を割って退却した。
 群衆からは再び悲鳴があがったが、ジュヴナントとダリオットは彼らを追うことはしなかった。
 あえて、深追いする危険を犯すことはないのだ。三人も捕虜として捕えることができた。それで十分であった。

 程なく、市の守備隊が到着した。
 彼らは群衆を割って入ってきた。すでに彼らの何人かは、集っている人々を追い散らすことを始めている。
「…! これは、ダリオット様! 御無事でしたか!」
 守備隊の隊長らしい髭面の大柄な男が、ダリオットに気付いて駆け寄ってきた。
「ああ、どうってことはない。それよりも、こいつらを城まで連れていってもらえないか?」
「は、はっ! 分かりました!」
 隊長は、緊張と安堵の入り交じった声で答えた。
『へえ、彼がダリオット王子か…』
 ダリオットと守備隊隊長との会話を聞きながら、ジュヴナントは自分が助力した人物を改めてまじまじと見つめた。
 引き締まった大柄な体と優しげな顔。わずかに癖のある黒髪。涼しげな目もと。そして、気さくな雰囲気。これまで噂にしか聞いたことのない人物の姿がそこにあった。
 もしも、ダリオットに万が一のことがあったならば、間違いなく守備隊隊長の首も飛んでいただろう。ダリオットが無事でも、市の騒動の責任は免れない。
 ダリオットの言葉は、そんな彼への配慮であった。賊を捕えたということになれば、彼の罪もいくらかは軽くなるというものだ。
 民衆の多くに慕われているという人柄。ジュヴナントもその一端を知った気になった。彼もダリオットのことが好きになれそうだった。
 ダリオットは、倒れている黒衣の三人を守備隊が連行するのを見届けると、ジュヴナントの方に向き返った。
「こうなった以上、おれは城へ帰らなきゃならんな。どうだ、礼もしたいし、城まで一緒に来ないか?」
 ダリオットは笑いながらそう言った。
「もちろん喜んで」
 ジュヴナントも笑って答えた。

- つづく -