「危ないじゃないのよ!」
クレアは両手を頭の上にまっすぐに突きだした。
「アクラ テウィル サイタ ナン…」
クレアの唱えている呪文に気付いてか、ドラゴンは頭をクレアの方へめぐらせた。大きく口を開こうとする。
「危ないっ!」
ジュヴナントは起き上がりながら叫んでいた。
ヒュッ…
キーン
一本の矢がドラゴンの首のあたりに当たってはね返った。
「げっ! ぜんぜん効かないじゃないか」
ヤンがボウガンを構えたまま目を丸くしていた。
ボウガンは、弓ほど熟練を必要とせず速射が可能だが、場所をとるため持ち歩くのは弓よりも大変だ。そのため、ヤンは自分で改良した軽量・折りたたみ型を持参している。
だが、ボウガンの矢もドラゴンを苛立たせるくらいの効果しかなかったようである。ドラゴンはヤンの方へと首をめぐらせると、再び大きく口を開いた。
「げ…!」
ちょうどその瞬間。
ドウッ!!
ドラゴンの顔面横に大きな火球が閃いた。その威力に、ドラゴンの首は大きく傾いだ。衝撃波がまわりに走る。
「やったぁ!」
クレアの唱えていたファイヤーボールの呪文が炸烈したのだ。
「私を本気にさせるからいけないのよ。これで…、えっ…!」
誰もが我が目を疑った。
ドラゴンは頭を起こすと体勢を立て直した。かすり傷一つ負っていない。ドラゴンは首を二、三回振ると、まるで何もなかったかのように、攻撃の照準を再びクレアへと向けた。
「う…うそでしょ…?」
クレアはその光景が信じられないといった風だ。彼女にとってもかなり全力をあげた呪文だったのだ。
ドラゴンは驚いているクレアに向かって炎を吐きかけた。
「あ…!」
避ける暇などない。クレアは固く目を閉じた。
だが、炎はクレアには届かなかった。
「…大丈夫か?」
レキュルの声にクレアは目を開けた。
レキュルは両手を前に突き出したまま、クレアに背を向け、ドラゴンと対峙していた。ドラゴンの吐く炎は、レキュルの前の見えない壁に妨げられている。
エネルギー・シールドの呪文だ。
この呪文は、炎、吹雪をはじめ、雷撃に至るまでその力を防いでくれる。しかし、それ故にあまり長い時間使用することはできないし、使用する者の精神力を大いに消耗させた。レキュルの額には大粒の汗が浮かんでいた。
「レキュル!」
クレアが叫んだ。と、同時にジュヴナントがあの剣を振りあげ、ドラゴンに斬りかかっていく。
「おおぉぉーーーっ!」
ドラゴンの腕めがけて思い切り剣を振り下ろす。
カシーン!
だが、ジュヴナントの振り下ろした剣は、ドラゴンの皮一枚傷つけることなく弾き返された。
「そ、そんな…」
ドラゴンがうるさそうにジュヴナントを払いのける。ジュヴナントは弾き飛ばされ、大理石の円柱にしたたか背中を打ちつけた。
「ジュナ!」
レキュルが叫ぶ。
「…だ、大丈夫」
ジュヴナントは剣を支えにして起き上がった。
ドラゴンの腕の近くであったのが逆に幸いした。もしも、もう少し離れていたらスピードの増した一撃を食らっていただろう。だが、鎧があるとはいえそのダメージは無視できるものではない。
ドラゴンは首を一巡させると、悠然と彼らを見下ろした。その姿は、まるで勝ち誇っているかのようでもあった。
「ちくしょう!」
ヤンが吐き捨てるかの様に叫ぶ。
「…どうすればいいんだ?」
ジュヴナントは自問した。だが、答など出るはずもなかった。
闘いは続いた。
クレアが呪文を放ち、ジュヴナントが剣で斬りかかった。ヤンは矢を射かけ、レキュルは呪文を唱えた。
しかし、ドラゴンはそのすべてをことごとくはね返した。ドラゴンの前では彼らは余りにも無力だった。四人のうちで傷を負っていない者はなく、クレアやレキュルの精神力も限界に来ていた。
まさに、万策が尽きようとしていた。
「たあっ!」
ジュヴナントが、何度目になるのか分からない攻撃を仕掛けた。剣を振り上げ、ドラゴンに斬りかかっていく。
と、疲労と床の血に足が滑った。ジュヴナントの振り下ろした剣は、ドラゴンを直撃することなく、その脇をわずかにかすっていっただけだった。そのまま床に倒れ込む。
「…!」
しかし、そこにジュヴナントは信じられないものを見た。
ドラゴンをかすめたジュヴナントの剣は、ドラゴンの体を薄く覆っている黄色っぽい油の様なものをはぎ取っていた。
その下に姿を現したものは、純白の美しいうろこであった。それは、この凶悪そうなドラゴンには、似つかわしくない程のものだ。その部分だけは、神々しい光を放っているかのようですらあった。
しかし、ジュヴナントが驚いている間にも、その部分は再び流れ落ちてくる黄色っぽい油のようなもので覆われてしまった。
ジュヴナントは、はっと気付くと、ドラゴンの爪の一撃をかろうじてかわした。
『何だったんだ、今のは…?』
起き上がりながら、そんな疑問が頭から離れなかった。
「…ヤルト ナン ラ フィンダ!」
クレアの腕の中で火球が生まれ、ドラゴンへ向かって一直線に飛んでいく。火球はドラゴンの上腕部に当たりくだけ散った。
しかし…
「…はぁ…はぁ…」
クレアは肩で息をしていた。顔にも疲労の色がはっきりと見てとれる。
しかし、ドラゴンの体を薄く覆っている黄色っぽい油のようなものは、まったくはがれたり吹き飛んだりははしなかった。ジュヴナントはそのことに気付いた。
『なぜ、この剣にだけ…?』
その時。
パァーーーッ
ジュヴナントの手の中で、剣が突然輝きを増した。
『この剣は、光の剣。闇なるものだけを切り裂くことができるものです。心の目を開きなさい。すべてを見るのです』
どこからともなく声が聞こえた。まるで、剣が心の中に話しかけているかのように。
『…すべてを…』
ジュヴナントは、その言葉を反芻した。
「…!」
ジュヴナントは立ち上がりながら叫んだ。
「レキュル、クレア、ヤン、援護してくれ!」
ジュヴナントは剣を胸の前に構えて、目を閉じた。
ドラゴンがジュヴナントの方に向き返る。もはや、攻撃目標は完全に定まったかのようだ。
「ジュナ、どういう…」
レキュルが叫び返そうとした時、ドラゴンの目の前を矢がかすめていった。
ドラゴンが思わず立ち止まる。
「その話、のったぜ!」
ヤンは次の矢をセットしながら答えた。残りの矢は後数本しかない。
「仕方ないわね」
クレアも、もつれそうになる足で立ち上がった。どのみち、体力・精神力もそう長いこともつわけではない。
「ジュナ…」
レキュルは呟いた。
ドラゴンの首筋に、ヤンの放った矢が当たってはね返る。だが、ドラゴンはそんなことなど意にも介さず、ジュヴナントに向かった。
ドラゴンが炎を吐く。
ゴーーーッ!
炎が、ジュヴナントに向かって一直線に伸びた。
ドウッ!!
突然、炎が四散した。
ドラゴンの吐いた炎と、レキュルの放った真空波の呪文が、空中で激突したのだ。ドラゴンは信じられないと言った顔で、レキュルの方を一瞥した。しかし、ジュヴナントを攻撃目標とするのはやめなかった。ドラゴンはジュヴナントの方へ一歩足を踏み出した。
「ぐ…」
レキュルが床に片膝をつく。体が動かない。これ以上もう呪文は使えない。
ジュヴナントは剣を胸の前に構えて目を閉じたまま、ドラゴンと対峙している。
「…エル ガリオスタム エ タラナ カント ドモン!」
クレアが叫んだ。手を地面に叩きつけるかのように振り下ろす。最後の力すべてだ。
「いけーっ!」
ズガーッ!!
地面から吹き上がるエネルギー波がドラゴンを突き上げた。
グオオーーー!
ドラゴンが身をよじる。鎖につるされた宝玉が踊った。
『…!』
ジュヴナントがカッと目を見開いた。
「そうかっ!」
ジュヴナントが剣を構える。ドラゴンは重そうに体をジュヴナントの方に向けた。
「そこまでだ!」
ジュヴナントがドラゴンに突進する。ドラゴンもジュヴナントに向かって爪を振り上げた。
ドラゴンの懐に飛び込むジュヴナント。振り下ろされるドラゴンの爪。
閃光とともに、両者の体が交錯する。
静寂が辺りを支配した。
グオオ…ッ
突然、ドラゴンが苦しそうな呻きを発した。
剣はジュヴナントの手を離れ、ドラゴンの首の赤く大きな宝玉に深々と突き刺さっていた。
「ジュナ!」
皆が叫ぶ。
ズウーー…ン!
ドラゴンが膝をついた。そして、そのまま、崩れるかのように倒れこんでいく。
ドラゴンがジュヴナントを見る。不意にその目が合った。
「…!」
哀しげな、それでいてどことなく満足げな、そんな目だった。
ジュヴナントは思わず言葉を失った。
再び光が神殿を満たした。
それはあの不思議な女性のいた神殿と同じ光だった。
ジュヴナントらはその光の中に身を任せた。
「…」
何かが聞こえた。
しかしそれは言葉にはならなかった。
闘いの一部始終を柱の影の中から見ている者があった。
それは影の中に溶けていた。
「ちっ…」
それは短く舌打ちをすると、光が神殿を満たすよりも早く姿を消した。
やがて、ゆっくりと光が収まっていった。
ジュヴナントは道の真ん中に立っていた。
「レキュル? クレア? ヤン?」
ゆっくりとあたりを見まわす。
彼らの姿は見えない。人影すらない。ただ道ばたに彼独りだった。
だが、この景色には見覚えがあった。
ベルタナス国の南西にある港町ネフスから、さらに街道を西へ進んだあたりだ。
『しかし、あれは何だったんのだろう?』
全てが夢のようであった。
ただ、体の節々の痛みだけが、あれが夢ではなかったことを示していた。
『いったい、あの声は何を言おうとしたんだ…?』
ジュヴナントは最後に光に包まれた時、どこからともなく聞こえた声を思い出した。
誰の声なのか?
何が言いたかったのか?
それは分からなかった。
ジュヴナントは歩き始めた。とりあえずは、ネフスまで行くことにした。
もう日はとっぷりと暮れていた。
空高くから、月が彼を照らしてる。
ジュヴナントの影が道に長く伸びていた。
- 第1章おわり -