竜騎士伝説

Dragon Knight Saga

第1章 黎明の光の中で その4

 春の風は優しかった。ほおを撫でるようにして過ぎていく。できることなら、ジュヴナントはずっとこのままでいたかった。
「ジュナ、こんな所にいたの?」
 頭の上で非難めいた言葉がした。その言葉でジュヴナントは我に返った。
「ミシャ!」
 肩まである栗色の髪をゆらしながら、明るいオレンジ色の服を着た女性が、ジュヴナントの枕元に立って彼を見下ろしていた。その姿にジュヴナントは思わずどきりとした。
「こんな丘の上で居眠りなんかしてると風邪ひくわよ。春だと言ってもまだ風は冷たいんだから」
「ぼくが何をしてようと勝手だろう!」
 鼓動を隠すように、ぶっきらぼうに答える。
 ミシャ・エドバンドはジュヴナントよりも二つ年上だ。そのせいか、幼なじみのジュヴナントに対していつも姉さん風を吹かしている。ジュヴナントは、それが気に入らなかった。
「まあね。でも、もうそろそろ村に帰った方がいいんじゃないの? 風もでてきたことだし…」
 一陣の風がミシャのオレンジ色の髪と薄手のブラウスを払っていく。ジュヴナントは、そう言われてはじめて日が傾きかけていることに気付いた。どうやら、居眠りをしていたというのは本当らしい。
 ジュヴナントも起き上がった。もう本当に村に帰らなければならない時間であったからだ。日の暮れた森は危険すぎる。
 二人は丘を下っていった。

 薄暗い森を抜けたすぐそこが村であった。村はあたりを森に囲まれているので、村へ帰るにはこのように森の中を通らなければならなかった。
「そうそう、おばさん、今日はシチューだって言ってたわよ」
「…何でミシャがうちのメニューを知ってるんだよ?」
「だって、私、作るの手伝ってって頼まれたんだもの」
「…」
「そういやな顔をしないの。見てらっしゃいよ。びっくりするくらいおいしいものをつくってあげるからさ」
 そう言ってミシャが笑う。
「はぁ…」
「さあ、急ごう!」

 森の出口が見えてきた。
 木々にじゃまされていくぶん弱くなった日の光が小道にも差し込んでいた。
「競走よ」
 ミシャはそう言うと、いきなり走りだした。
「そんな、ずるいよ」
 ジュヴナントも後を追って走った。
 だが、ミシャは森を抜けると、突然そこで立ち止まった。そんなミシャにジュヴナントが追いついた。
「いきなり走りだすなんて反則だよ…」
 ジュヴナントは、息を切らせながらミシャの背中に声をかけた。だが、ミシャは茫然と立ち尽くしたまま。その肩が小刻みに震えていた。
「ミシャ?」
 ジュヴナントはミシャが見ているものを見ようと、ミシャの横に出た。
「!」
 とっさには言葉が出なかった。
 そこには、小さいながらも美しく暖かな村があった。そう、あったのだ。少なくとも、今日の朝、彼が村を出るまでは!
 あの住み慣れた、美しかった村は、今は見る影もない、焼けた瓦礫の山となっていた。崩れかけの建物からは、まだ細く煙が立ち上っている。
 誰も、いや、何も生きているものがないことは明らかだった。

 ミシャが突然駆けだした。
「ミシャ! 待って!」
 ジュヴナントも後を追って走った。ジュヴナントは追いつくと、ミシャの腕を掴んだ。
 ミシャは目に涙を浮かべていた。その目でジュヴナントを見つめる。ジュヴナントには彼女を見つめ返すことしかできなかった。
 不意に、彼女の中で何かが切れたかのようだった。ミシャはジュヴナントの胸に顔を埋めて泣きじゃくった。ジュヴナントはそんな彼女を優しく抱きしめたのだった。
「ミシャ…」
 それ以上は何も言えなかった。
 二人は森の外れのバラックで眠れぬ夜を明かした。

 ふと、ジュヴナントは目を覚ました。
 目が慣れるにつれ、あたりの様子がおぼろげながらも分かってきた。
 何本も立ち並んだ大理石の太い柱。石が敷き詰められた床。暗くてよく分からない高い天井。それらは悠久の年月を刻んで、彼の前にその姿を現していた。
 ジュヴナントはそこにいた。森の中ではなかった。
「ここは…?」
「気付いたみたいね」
 白っぽいローブをまとい手にロッドを持った女性が、ジュヴナントの顔を覗き込むようにして立っている。クレア・フェリスだ。
「…ったく、どういうことだぁ?」
 その脇で、茶のズボンにブーツ、皮のチュニックといういでたちの男が呟いた。これは、ヤン・コートランド。
「分からないな…」
 銀髪の男が答える。彼は濃い青の長い上着を着て、腰のところを皮のベルトで止めていた。腰には長めのレイピアをさしている。…そして、レキュル・アーカス。
 ジュヴナントは立ち上がった。
 混乱していた記憶が少しずつよみがえってくる。彼らは同じパーティーの仲間だ。パーティーを組んで、もう三年近くになる。
 そして、今日、霧の中のほこらで光に包まれて…。しかし、それももうずいぶん昔のような気がする。物事が現実味を帯びて感じられなかった。まだ、夢を見ているかのようだった。
 ジュヴナントは軽く頭を振った。
 夢を見ていたのだ。だが、あれは夢ではなかった。何度、夢であればいいと思ったことか…。もう、あれから五年も経とうとしているのに。
「しかし、俺たちをこんな所へ呼んでどうしようっていうんだ?」
 ヤンがぼやいた。
「さてね」
 クレアが石柱の一本にもたれかかったまま答える。
 だが、ジュヴナントの耳には彼らの会話は入っていなかった。彼はあの夢の続きを知っていた。
 次の日、朝日の中で目を覚ましたとき、ミシャの姿はなかったのだ。そして、彼は旅に出ることを決意する。壊滅した村の謎を解くために。そして、ミシャを探すために…。
「でも、あの石版の意味って何なんだよ?」
「分かる分けないでしょ。でも、罠って訳じゃなさそうだし…」
「静かに!」
 突然、レキュルが彼らを制した。
「レキュル?」
 ジュヴナントもその言葉で我に返る。
「…どうやら、おでましのようだ」
 レキュルがレイピアを抜きながら言った。空気がぴりぴりと震えるのが分かる。
 その言葉に全員が身構える。ジュヴナントも腰の剣に手をかける。
 不意に、神殿の中が淡い光に包まれた。光の粒が柱の間を満たし、敷石の割れ目の中にまで染みわたっていく。
 光の中に一人の女性が現れた。彼女は長い黒髪に小さな緑の宝石のついた額飾りをし、白銀の長い服をまとっていた。その裾は淡い光の中に溶け込んでいた。だが、何よりも彼女は美しかった。それは気品と威厳を兼ね備えた美しさだ。
 誰もが言葉を失った。
 その女性はうつむきかげんだった顔を上げ、長いまつげの下の目をゆっくりと開いた。
 彼ら四人は、ちょうどこの女性と真正面から向きあう格好となった。
「ようこそ、ここへおいでくださいました」
 女性が口を開いた。澄んだ声があたりに染みわたる。
「ここは、ウェルト神の神殿。世界に三つ存在するテントルフォン=デ=アリエトゥーメの神殿の一つです」
 驚く彼らに、女性は話を続けた。
「あなた方が、大いなる意思によってこの神殿に呼ばれた方なのですね」
 それだけ言うと、女性はかすかな微笑みを浮かべた。
「あなた方の通る道が今後どのようなものになるのか、私には分かりません。しかし、いずれ世界の意志に関わることになるでしょう。ならば、私もできる限りの助力をしなければなりません」
 彼女はそう言うと、どこからともなく一振りの剣を取り出した。銀色に輝くそれは、油が滴り落ちんばかりの澄んだ光沢と、空気をも切り裂かんとする鋭さを持っているように見えた。彼女は、その剣を彼らの方へと差し出した。
「私にできることはこれぐらいしかありません。が、きっと何かの役に立つことでしょう」
 ジュヴナントがその剣に見とれていると、レキュルが背中をトンと押した。
 振り向いたジュヴナトにレキュルが頷く。
 ジュヴナントはレキュルに頷き返すと、輝いている剣を手にとった。剣の柄をギュッと握りしめる。剣は手に吸いついたかのように、ピタリと収まった。
「…す…すごい…」
 ジュヴナントには、それ以上言葉が出てこなかった。
 そして、女性は再び口を開いた。
「…どうやら時間が来たようですね。私にできるのはここまでです。あなた方は行かねばなりません。幸運をお祈りしています」
「えっ…」
「ちょ、ちょっと…」
 ジュヴナントらが何かを言おうとした時には、その女性は再び光の中に消えた。否、彼らがまた別の光の中へと投げだされたのである。

 一見景色はまったく変っていないように見えた。しかし、何かが違っていた。何本も立ち並んだ大理石の柱。石の床。暗くて高い天井。それらは、重い空気に包まれていて、なぜか息をひそめているかのようだった。
 何かがあるのは分かっていた。おそらく、知りたくもない何かが…。
 ズン!
 突然、重い音が神殿中にこだました。
 たいまつの炎が揺れ、火の粉が石床に散った。
 彼らは顔を見合わせた。
 ズン!
 再び重い音がした。
 先程よりももっと近く、彼らの前方で。
 ズン! ズン!
 何かが彼らの方へと近付いてきているのは間違いなかった。
 彼らは、前方の暗闇を凝視した。

 暗闇の中に、不気味な影が浮び上がった。
 空気が痛いほどに張りつめている。
 まるで押しつぶされてしまいそうなほどの威圧感と恐怖をまとって、それは歩みを止めた。
 ジュヴナントたちからはその姿が分からなかったが、知ってどうなるものでもないことだけは分かっていた。
 正面から目を離すことができなかった。
 やがてそれは、再び歩みを始めた。彼らに向かって。

 闇の中にその巨大な姿を現したのは、全身を白いうろこに覆われたホワイトドラゴンであった。だが、あまりにも巨大なその体の一部は、まだ神殿の闇の中にとけ込んでいる。
 高さ二〇メートルはあろう。赤い目と口が高いところから彼らを見降ろしていた。体中が、黄色っぽい油で覆われてぬめぬめと光っていた。
 そんな中で一際目をひくのが、首から下げた巨大な赤の宝玉だった。宝玉は、装飾のほどこされた太い鎖でしっかりと首に固定されている。
 ドラゴンは背中にたたんだ羽根をゆっくりとのばし、口を大きく開いた。
「危ない!」
 レキュルの叫び声と同時に、ジュヴナント、ヤン、クレアは四方へと散っていた。その直後、熱風が渦を巻き、彼らのいたところをすさまじい炎がなめていく。
 こうして長く激しい死闘の幕は切って落とされたのだった。

- つづく -