竜騎士伝説

Dragon Knight Saga

第1章 黎明の光の中で その2

 ベルタナスは、悠久の山脈の西側に広がる肥沃の平原<ガナラ=プラッタス>のほぼ中央に位置している。王国の東、悠久の山脈から流れだした恵みの河<ガネリア=サルヴァーナ>が、ベルタナスを横切って西の大海<デ=トラナサル>へと注いでいた。王都ナムラはその恵みの河の南岸にあった。この河が、ベルタナスに農業と商業の富をもたらしている。肥沃な平原とその中を流れる恵みの河が、ベルタナスの強大な国力を支えていた。
 王国の北側には大森林<グルナ=カルランテ>が生い茂り、さらにその北には霧の大渓谷<キーナレン=テア=グルナ=デ=ヴァンフォント>があった。霧の大渓谷は、別名悪魔の爪痕とも呼ばれ、人々から恐れられている。この大渓谷は、年中深い霧がたちこめていて、世界の果てへと通じているとさえいわれている。
 また、王国の南東には黒がね連山<ロスタルト=テア=ナンテ>がある。これらの山々は、鉄鉱石がとれるのでそう呼ばれている。現在、そこにはドワーフたちが多く住みついていた。
 そして、南西に孤高にそびえるのは、天の高地<アラ=デ=ヤグナフォント>だ。そこには神が住まうと信じられており、あえて足を踏み入れようとする者はいない。
 そして今、この会議ノ間にぞくぞくと集まってくる人々は、この広大なベルタナス王国において最重要人物たる人々であった。

 しばらく後には、呼ばれたほとんどの人物が大広間に急遽作られた会議ノ間に集まっていた。通常の会議ノ間では、とても全員が入りきらないのだ。
 ジェンラウァもダリオットとともに広間の入口のアーチをくぐった。
「もうすでに、ずいぶん集まっておりますな、ダリオット様」
「…そのダリオット様と言うのはやめてくれないか。どうも、そういう堅苦しいのはおれには似合わん。昔のように、ダリと呼んでくれた方が気が楽だ」
 ダリオットが渋い顔をする。
「ベルタナスの王子ともある方に向かって、そうはいきませんぞ。昔と同じというわけにはね」
 いたずらっぽい笑いを浮かべながらジェンラウァが応じる。
「あれから、もう一五年か…。時のたつのもはやいな。しかし、兄上のおかげで、ずいぶん勝手をさせてもらったが」
 ダリオットの目がふと遠くなる。
「だからこそ、あまり無茶はなされますな」
「はっはっ…、おれはあの頃と何も変ってはいないよ」
「ダリオット様…」
 二人はそんなことを話しながら、長いテーブルにもうけられたそれぞれの席についた。

 ベルタナス王国の第二王子ダリオット・セア・クワラルは、テーブル正面の左の端の座についた。
 まず人々の目をひくのは、その容姿であろう。均整のとれた大柄な体。そして、それとは対照的な優しげな顔。癖のある黒髪、涼しげな目もとと引き締まった口もとは、その気になれば誰をも魅了することができるだろう。
 だが、彼は、二八の若さにもかかわらず、城内警護の部隊長をもつとめていた。むろん、それは実力で勝ち取った地位である。大きな体に似合わない、機敏な動き。剣の腕もなかなかのもので、彼の腕についてこれる者はこの城内でも数えるほどしかいない。
 だが、ダリオットは、王子としての退屈な暮らしよりも、馬に乗って野を駆けている方が好きだった。彼は、しばしば、自ら国内巡察の役をかってでては、気ままに王国の中を駆けめぐっていた。
 そのせいもあって、民衆の暮らしを目で直接見ることができたし、人々からも親しまれていた。

 一方、ジェンラウァ・アル・フォンドは今年で四五になる。決して若いとはいえない歳だが、それでも大臣の中では最年少である。それ故、今日は大広間の最も奥まったところに座っていた。長いテーブルを挟んで、ちょうどダリオットの向かいのあたりだ。
 彼は、小柄な体つきをしているものの、弱さを感じさせない。むしろ、その明晰な頭脳と思考の柔軟性は多くの人々の認めるところであった。かといって、決して出しゃばったりはしないのがジェンラウァであった。だからこそ、将来の宰相の座を有望視されながらも、それを妬む者は意外に少ない。
 ジェンラウァは、かつて、幼少のダリオットの守り役をしていたことがあった。守り役はダリオットが一三歳になった時で終わりだったが、親交はその後も続いている。

『…全部で四〇人ほどか…。父上もずいぶん集めたものだ』
 広間をざっと見渡して、ダリオットは心の中で呟いた。
『しかし、こんなにも人を集めるほどの事件とは、いったい何なんだ…?』
 ここへ来る途中、ジェンラウァは何も言わなかったし、ダリオット自身にも特に聞こうという気がなかった。だが、この会議ノ間に集まった面々を見ればただ事ではないのが分かる。
 彼の右斜め前で、気難しそうに腕を組んで座っているのは、かつて王国一の剣士とうたわれたタルカサス・ウィンだった。
『もう引退したと聞いていたが…。やはり密かに各地をまわっていたというのは本当だったのか。…ここにいるということは、どうやら、父上もグルだったようだな』
 だが、ダリオットもクワラル三世とタルカサスの関係のすべてを知るわけではない。
 最後に彼に会ったのは二年も前である。短い口髭をはやし日に焼けた顔は、その時よりもずっと精悍に見える。短く刈り上げた髪が、灰色に鈍く輝いている。小柄だが引き締まった体つきと鋭い眼光は、一瞥で他の者を圧倒する威厳に満ち満ちていた。
『とても五二とは見えないな…』
 ダリオットは独りごちた。
 タルカサスの向かいの席には、王城近衛隊の中心部隊の赤の部隊と青の部隊の隊長である、コルエア・カウィックとサマラチカ・ミッシャロンが並んで座っていた。
 コルエアは、でっぷりと太った体にきらびやかな赤の衣裳をまとい、顔にはご丁寧に化粧までさしているようだった。しかし、太っているとはいえ、コルエアは槍の名手で、その名は近隣諸国にまで知れわたっていた。
 対して、サマラチカの方は急いでかけつけたとみえて、服装はいつもの青い制服であった。くたびれた服装の割に、最近薄くなりつつある髪はしっかりと後ろへなでつけられていて、不釣り合いな感じさえしていた。太ったサマラチカと比べると、彼はかなり痩せてみえる。だが、彼もその腕は確かであった。
 それでも、彼ら二人の評判は決して良くはなかった。コルエアとサマラチカが、事あるごとに手柄を競い合っていたからだ。
 国王クワラル三世はそんな彼らの競争心に任せているようであったが、ダリオット自身は彼らのことをあまり好きにはなれなかった。
『…コルエアの機嫌がいいのはそのせいかな』
 コルエアが悠然と構えているのに対して、サマラチカはじっとテーブルを見つめたままである。
『タルカサスが難しそうな顔をしているのは、彼らのせいかもしれないな…』
 そんなことを思いつつも、ダリオットは会議のテーブルの面々を見渡していた。

 ざわめいていた会議ノ間が、急にしんと静まりかえった。
 国王クワラル三世の入場である。
 クワラル三世は、左右に小姓を連れてゆっくりと入口のアーチをくぐり、長いテーブルの正面中央のひときわ大きな椅子に座った。
『父上…、また少し痩せたのではないか…』
 ダリオットにとっても、クワラル三世のあんな重い顔を見るのは初めてだった。そんな姿を見るのはやはり心が痛い。
 クワラル三世は、王冠こそつけていないが、いつもどおりの長く白い衣裳を身にまとっていた。長くのびた白い顎髭は変らないが、顔に刻まれた皺はずっと深くなったような気がした。
『…まるで、急に歳をとったかのようだ』
 クワラル三世が小姓に何か耳打ちをすると、小姓は首を横に振った。
 クワラル三世は頷くと、テーブルの方へ向き直った。
「皆のもの、ルーンヴァイセム殿がまだ着いていないようじゃ。もう少し待っていてくれぬか」
 その言葉に、再び会議ノ間はざわつき始めた。
『彼も呼ばれているのか…。あの大魔法使いといわれた…』
 ダリオットはこの会議の重要性に身震いした。

 しばらくして…。
「いやぁ、すまんすまん。ずいぶん待たせてしまったようじゃのぉ」
 突然、入口のあたりで声がした。全員が一斉にそちらの方を見る。
 ルーンヴァイセムは息をきらせながら、だが照れくさそうな笑顔で、大広間へ駆けこんできた。その登場の仕方は、多くの人々が期待したものとはいくぶん違ってはいたが、誰も何も言わずルーンヴァイセムが席に着くのを待った。
 ルーンヴァイセムは国王の左隣、正面右寄りの席に座った。
『…そういえば、兄上の姿が見えないな。まだ、けがが直ってはいないのか』
 ダリオットには四つ上の兄エルオットがいた。彼がこの国の第一王子である。そのエルオットは、一週間ほど前に落馬して大けがを負っていた。病気をおしての査察の途中のことだった。
 ルーンヴァイセムが座った席は、本来ならばエルオットが座るはずの席だったのだ。
「やっとこれで全員がそろったようじゃの」
 クワラル三世は、ルーンヴァイセムが席に着くのを見計らって口を開いた。
 会議ノ間に集まったのは全部で四七名。
 ベルタナスでこんな大きな御前会議がもたれるのは、ダリオットの知る限り、おそらくこれが初めてであろう。
「今日集まってもらったのは他でもない。皆に重大な知らせがあるのじゃ」
 クワラル三世は言葉を続けた。
 ルーンヴァイセムを除く全ての人々の間に緊張が走った。
 皆がクワラル三世の顔に注目した
 クワラル三世は、ひとつ間をおき、弱々しい声で言った。
「…どうやら、あの予言の魔王が現れたらしいのじゃ…」
 空気が凍りついた。

- つづく -