「あ…、あれは…?」
南の地平線を見たエンターナが、不意にぽつりと呟いた。
「…馬よ! 三騎いるわ!」
シンフィーナが目を輝かせる。
研ぎ澄まされたエルフの視力が、遥か遠くから近付く、馬に乗った三人の姿を認めていた。
だが、同時にその場にいた全員が、南を流れるナードゥガ川の岸壁にいつの間にか横付けにされた海賊船の姿を発見していた。
「碇を上げろ!」
甲板の上で、四角いあごに手をやりながら、がっしりとした体躯の男が手下たちに向かってそう号令した。
飾りのある白のシャツの上に、金糸で装飾がなされた丈の長い黒の服とズボン。膝近くまである黒皮のブーツに、赤い羽飾りのついた黒い帽子。
南海の嵐と呼ばれた男。海賊グレス一家の首領、ファン・ドーゴ・グレス。
河岸に停泊した海賊船の上を、一陣の風が通り過ぎてゆく。
「後はお前たち次第だ、ダリオット…」
北に広がる大地とその先にそびえたつ剣の山を見つめたまま、ファンは小さな声で呟いた。
ダリオットらを乗せた海賊船は、テーラの門から地下水路へと入り、そのまま地下水路を通って悠久の山脈を越え、テーラの門よりもさらに巨大な岩窟からコントーナ川へと出た。船はそのままジャングルの中を流れる川を順調に下り、東の海のクラート湾を横切って、大陸第二の大河ノエルを遡った。途中でノエルの支流であるナードゥガ川へと入り、剣の山のすぐ近くまで漕ぎ着けたというわけである。
北の広場での戦いの様子は、ここからも何とか確認することができた。ぎりぎりではあったが、何とか間にあうことができたようだ。
これより先には船で行くことはできない。そして、ファンも海賊の頭領として、この船を離れるわけにはいかなかった。
ここで三人は船を下りることになる。三人分の馬は、すでにファンが用意していた。
「感謝している。また会おう」
ダリオットの差し出した手をファンは固く握った。
「お前こそ、こんなところでくたばるんじゃないぜ」
にやりと笑ったファンに、ダリオットも笑い返した。
「そいつはお互いさまだろ?」
そして、爽やかな笑みをのこして、三人は駿馬で北へと向かった。
だがこのとき、一つの運命がたしかに受け渡されたことに気付いたものはいなかった。
「頑張れよ…」
甲板に一人たたずむファンの呟きが、穏やかな風の中にとける。
ダリオットとアル、マリーの三人は無言で馬を駆けさせていた。風が耳元でごうごうと音をたてて通り過ぎていく。
ゆっくりしている時間などない。
彼らはさらに速度を上げた。
真っ直ぐに。ただ北へ向かって。
「誰だ、あれは?」
キリアーノも、ようやく馬を駆って近付く者たちを認めていた。
先頭の白馬に乗るのは、白銀の鎧に身を固めた亜麻色の短い髪に鴬茶の瞳をした男。その涼しげな目が、きりりと前方を睨んでいる。
その後に続くのは、茶の馬に乗った、まだ少年と少女と呼んでもよいような男女であった。少年は、濃い褐色の長髪をオレンジ色のバンダナでとめていた。また、鳶色の大きな目をした少女は、栗色の髪を後ろで一つに束ねていた。
三人は、行く手をふさぐオークを蹴散らしながら、一気に広場中央へと斬り込んだ。
長い船旅の間に、海賊船の中でアルもマリーはダリオットやファンから剣の扱いについて叩き込まれていた。すでにオークなど彼らの敵ではなかった。二人はオークの列の中へと馬を駆けさせ、片端からオークに襲いかかる。広場が喧噪に包まれ、オークたちの優勢に傾きかけていた状況は、ここへきて一変した。
その時、ダリオットの狙いはすでに定まっていた。
黒馬に乗った黒騎士。
それこそがこの場の元凶であることを、ダリオットは一瞬で見抜いていた。
だが、黒騎士もその照準をダリオットに合わせた。まわりの黒いオーラのようなものがゆらりと揺れる。
ダリオットの白馬が、黒騎士との距離を一気に詰めていく。
ダリオットの手の中で、バトスの剣が陽光にきらめく。
黒騎士ロイアルスも漆黒の剣を構え、素速く黒馬を駆る。
白と黒の交錯! 閃光!
甲高い金属音を残して、二人が別れる。
互いが馬を回頭し、その時、二人は初めてはっきりとお互いを確認した。
「お前の名は?」
凛とした声で、ダリオットが訊いた。
その場の雰囲気に広場が沈黙した。カーラですら声を出すことがはばかられた。広場の者すべてが、身動き一つせずに二人を見守った。
「…我が名はロイアルス」
ややあって、黒騎士が口を開いた。重い声だ。かすかに大地が振動したような気がした。
「…憶えておくがいい」
そう言って、ロイアルスが漆黒の兜に手をやった。あっけにとられている皆の中で、ロイアルスはすっと兜を外した。蒼い長髪が兜からこぼれおち、さらりと肩にかかる。
皆が息を飲む。
ロイアルスが地面に兜を投げ捨てた。がらんと音をたてて、黒兜が地に転がる。
「…そ、そんな…。なぜ…?」
カーラの口がわななく。
蒼い髪をした美貌の青年。
「…ヒュロース…様…」
シンフィーナは目を見開いたまま立ち尽くした。シンフィーナには、まだ自分の言葉が信じられなかった。
ヒュロース・ナーライム。青の騎士。しかし、彼は三〇年前の戦いで戦死したはずであった。少なくともそうきいていた。だが、彼は三〇年前とまったく変わらぬ姿で目の前にいる。
「…ヒュロース、あの後いったい何があったんだ…?」
カーラの呟きも、だが、ヒュロースには届かない。
ロイアルス - ヒュロース・ナーライムは、冷やかな瑠璃色の瞳をダリオットに向けた。
「…相手になろう」
「やはり、こうでないとな…」
ダリオットも黒騎士から立ち上るただならぬ気配を感じていた。全身がしっとりと汗ばんでくる。
激しく風舞う剣の山の麓の広場で、二人の男が銘々剣を構え、真正面から対峙した。
「…なぜ…?」
茫然としたまま、カーラは再び自問していた。
「まったくもう、しつこいなぁ…」
まとわりつくオークたちをひらりひらりとかわしながら、トットは神殿の外壁に沿って走っていた。今のトットにとってオークたちをかわすことなど造作もないことだった。目下の心配事はこの神殿の中に入る方法だけである。
「あっ、あれ…」
抜かりないトットの目が、壁の上方に設けられた小さな採光窓を見逃すはずはなかった。
ん、ちょっと高いかな…?
「あ、ごめんよ」
そう言うが早いか、トットは思い切り跳んでいた。そのまま、目の前に立っていたオークの頭を踏み台にし、採光窓に手をかける。えいっと力を入れて体を持ち上げると、騒ぐオークたちを尻目に、トットは狭い穴の中に体を滑り込ませた。
「…ぐっ…」
痛む体を引きずるようにして、クレアは倒れた体を起こした。その瞬間!
「…!」
突然、クレアの目の前で閃光が炸烈した。
一瞬、視界が真っ白になる。
クレアは必死に目をしばたかせた。それで、ようやく視力が回復する。
目の前には、右手をまっすぐ前に突き出したままの格好でリディが立っていた。今の光は、リディの手の中で雷球が消滅した光だった。
リディは、クレアらの入ってきた扉の方を睨んでいる。
『…?』
不思議に思って、クレアも扉の方へと頭をめぐらせた。そこには紫の衣裳に身を包んだ女性が、倒れそうな体を必死になって支えていた。
『…ミリアーヌ…、確か…ミシャ…って言ってたっけ…?』
クレアには、状況がよく飲み込めない。
「…どういうつもりだ?」
冷たい声で、リディがミリアーヌに向かって問うた。だが、それには答えず、ミリアーヌは肩で息をしながら一歩一歩部屋の中へと進んだ。
「…私は思い出したんだよ。どうして、こんなことになったのかを…」
かすれた、だがしっかりとした声でミリアーヌは言った。
「…村の皆の、皆のかたきをとらなきゃならなかった。でなきゃ、皆がかわいそうだ…」
悲しみと怒りの入り交じった熱い炎。ミリアーヌの瞳の中の憎悪の炎が、まっすぐにリディをとらえていた。
「それがどうしたというのだ?」
だが、リディは口の端にふっと薄笑いを浮かべただけで、その炎を打ち消した。
「そんな状態で何ができる? その気になれば、私は指一本でおまえを葬ることもできるんだぞ?」
リディの言葉にミリアーヌはキッと顔を上げた。右肩を押さえて膝をついたジュヴナント。ようやく体を起こしたクレア。忘れていたこと、思い出さなければならないことが、次々と頭の中に浮かんでいく。
ジュヴナントとともに見た壊滅した村の姿。皆のかたきをとろうと、夜中にこっそりとジュヴナントのもとを去った自分。ふとしたきっかけから魔法使いとしての修行を始めた頃。そして、グヮモンとの出会いと赤い宝石のネックレス。赤い宝石によって引き起こしてしまった数々の悲劇…。
だが、その赤い宝石を砕かれたことで、今、ミリアーヌはかつてのミシャ・エドバンドに戻っていた。
そして…。
「…ジュナ、それにクレアっていう人! 赤い宝石よ! その宝石が彼らの本体なのっ! 人間はただの媒体にすぎないわ」
声を限りに叫ぶミシャ。
赤い宝石の呪縛を受けていたミシャは、それ故にサロアとリディの本質に気付いていた。彼らが、ただ単に操られていた自分とは違うのだということにも。
ミシャの言葉に、リディの顔から笑みが消えた。
「…このっ…、言わせておけばっ…!」
リディが腕をまっすぐに突き出した。その先からあふれでた炎の奔流が、一直線にミシャへと迫る。
カッ!
目もくらむばかりの閃光! そして、激しい爆発音!
だが、炎はミシャまで届かなかった。エネルギーは、リディのすぐ目の前の空中で四散したのだ。
「きさま…」
リディが足下を睨み付ける。
「あんなヒントをくれたんだものね…。見殺しになんかできないわ」
あたりに細かい木片が降る中、クレアは痛む体を押さえながら立ち上がった。額が切れ、赤い血が一筋流れ落ちている。
リディが放った炎は、クレアがとっさに突き出した雷帝の杖にぶつかり、そのまま雷帝の杖とともに砕け散ったのだ。
「…これで雷帝の杖はなくなったけど、状況は悪くないわね」
「ミシャ! 記憶が戻ったのか?」
ミシャの声に、振り返って叫ぶジュヴナント。
「はっ!」
だが、ジュブナントがサロアから目を離したその瞬間、サロアが腰の短剣をミシャめがけて放った。短剣は、ミシャの心臓めがけて真っ直ぐに飛んだ。
とっさのことに、ジュヴナントは反応することができなかった。
「ミシャ!」
だが、ミシャにはもう短剣をかわすだけの体力は残っていなかった。すでに体がいうことをきかないのだ。ミシャはぎゅっと目をつむった。
キーン!
乾いた金属音が響く。
「え…?」
カラーン…
だが、短剣は、ミシャの心臓ではなく、堅い石の床の上に落ちていた。
「へへっ、間に合ったみたいだね」
これで神殿の中をさがしまわったかいがあったというものだ。
扉の所には、いつの間にかパチンコを手にしたトットが立っていた。
「…またネズミが一匹増えたか」
吐き捨てるようにして呟くサロア。その言葉に、ジュヴナントはサロアを睨み付けた。
「レキュル!」
闘いは、まだ始まったばかりである。
- つづく -