「急がねば! もう時はすぐそこまで迫っている」
遥か天空を飛ぶ白竜。その背には、白い衣裳をまとった長い漆黒の髪の女性が乗っていた。
「ええ、空の星も動き始めています」
空を見ながら彼女が答える。
竜は、東に向かって、一直線に飛んだ。
先に動いたのは黒騎士の方だった。勢いにのって振り下ろされた剣の一撃が、ダリオットの肩をかすめていく。その隙をついて、ダリオットもまたバトスの剣を横に薙いでいた。だが、それも黒騎士の体をとらえることはできなかった。
すべては一瞬のできごとである。馬にまたがった二人が動いたかと思うと、次の瞬間には金属音だけを残して再び向き合っている。二人の実力は伯仲していた。驚くほど軽やかで優美な身のこなしと、激しい瞬間の火花。それが見る者をただ圧倒していた。いつしか、広場にいた者たちは、敵味方も忘れ、ただ二人の戦いに見入っていた。
「はっ!」
掛け声とともにダリオットが馬を駆り、上段から剣を振り下ろす。だが、その剣を黒騎士はしっかと受け止めていた。
「ぐっ…」
剣を支点にした力比べ。ダリオットの腕や額に汗が浮かぶ。
「…頼む。私を殺してくれ…」
「えっ…」
不意の黒騎士の言葉に、ダリオットは唖然とした。
黒騎士が剣を払い、二人が再び別れる。
聞き間違いではない。
「…どういうことだ…?」
ダリオットは、眉根をひそめて黒騎士ロイアルスを眺めた。
東より押し寄せるオーク二万。対して、これを迎え討つベルタナス軍は近衛隊を中心とした三千。これだけの圧倒的な数の差を考えれば、ベルタナス軍は非常に健闘しているといえただろう。
赤の部隊のコルエアと青の部隊のサマラチカという両隊長だけでなく、他の兵の働きにも目を見張るものがあった。彼らは、それぞれがこれまで幾多の戦いを生き抜いてきた歴戦の勇者だった。
ベルタナス軍は、コルエアとサマラチカという二人の司令官の指示のもと、隊伍を組んでオークを迎え討った。その組織的な攻撃の前に、圧倒的に有利なはずのオークたちは本来の力すら出せないでいた。
オークの軍は、優秀な指導者を欠いていた。本来ならこの軍を率いるはずであった鉄面鬼ディアグの不在が、ここへきて大きく響いていた。
しかし、戦いが長引くにつれ、ベルタナス軍にも疲れの色が見え始めてきた。オークたちは数にものをいわせて、勢いを盛り返しつつあった。
「まずいな…」
馬上で槍をしごきながら、コルエアは呟いた。
サマラチカも肩で息をしながら剣を振るっていた。まだ、この前の戦いで負った傷は完全に癒えていない。だが、時折走る激痛も、感覚が麻痺しているせいか、すでに気にならなくなっていた。
戦い開始からすでに数時間が経過し、次第にオークたちの優勢が濃厚となっていた。皆の体力が限界に近付きつつあった。
「ぐっ…」
サマラチカの剣がオークに受け止められる。踏み込みはするものの、これ以上手に力が入らない。その隙に、別のオークが横からサマラチカに斬りかかる。
「…!」
上体をひねってかわすサマラチカ。だが、一瞬早くオークの剣はサマラチカの左脇腹を抉っていた。赤い血があふれる。だが、サマラチカは返す刀でそのオークを両断していた。
脇腹を押さえる手が、みるみる間に真紅に染まっていく。オークたちが遠巻きにじりと曲刀を構える。
苦痛に歪んだ顔でオークたちを見回したサマラチカは、だがその時、信じられないものを見た。
ベルタナス軍とオーク軍が激しい戦いを繰り広げる平原の南で、一斉にときの声が上がった。
すべての者が南を仰ぎ見た。
そこに彼らが見たものは、手に武器や防具を携えた無数のエルフとドワーフたちの姿であった。一瞬の内に、彼らは戦いの最中に踊りでて、オークたちを斬り捨てた。
戦場に入り乱れる大軍。人とエルフとドワーフの連合軍。それは、これまでにも、そしてこれからも、もう決して見ることのできない光景であった。
突然の援軍に、オークの軍が総崩れとなる。攻勢だったオークたちが一気に逃げに転じた。
その光景を、近くの黒がね連山の山の上から眺める者たちがあった。
「これで勝負はつきましたね」
「ああ、何とか間に合ったようだな」
白いローブ、長い銀髪と青い目をした長身のエルフに、ミスリルの鎧を身につけた体格のよいドワーフが答えた。エルフの長上王フィルセルナと黒がね連山のドワーフの族長グルーノム。エルフとドワーフを代表する二人が、厳しい岩壁に立って、眼下の戦いを眺めていた。
「我々の戦いもこれが最後でしょう」
静かに話すフィルセルナ。
「だといいが…」
答えるグルーノムはいくらか懐疑的だ。もちろん、これほどまでに大規模な戦いは、もうないであろうが…。
「見てください。あれが『降る星』です」
「あれが…」
グルーノムも、フィルセルナが差し示す空高くに、赤い尾をひいて流れゆく星の姿を認めた。
「長かった戦いも…、我々の使命も、これで終わります」
フィルセルナの声には、どことなく寂しげな響きがあった。
「我々は消えゆく種族なのですから…」
「…そうかもしれんな…」
空を見上げたまま、グルーノムも呟いた。
伝説の中にだけ語られていた時が、今実際に訪れようとしていた。
天空の星は、着々と高度を下げつつあった。
「ヤンさん…! 誰だ、おまえは?」
トットは、巨大な石の扉の前で身動き一つせずに立ち尽くすヤンの姿を見つけた。そして、その隣に立つ異形の者の姿も…。
トットの声に、ジュヴナントとクレアもその魔物 - グヮモンに気付いた。
「あ…! あいつよ、ジュナ! あいつが…!」
目を見開いてミシャが叫ぶ。
「見つかってしまったようですね」
口の端に笑いを浮かべながら、グヮモンが柱の影から姿を現した。頭頂のとさかと顔の左右に三本ずつ張り出した突起。太った体を包む白い神官服。その異様な姿に、ジュヴナントとクレアは思わず息をのんだ。
「もう少し見物していたかったんですが…」
そう言って、グヮモンは歩みを止めた。
「何者だ! きさまは!」
ジュヴナントが叫ぶ。その目には怒りの炎が浮かんでいる。レキュルとルシア、彼ら二人をこんな目にあわせた犯人が、今、目の前にいるのだ。
「私の名はグヮモン。…この神殿の神官ですよ」
そう言って笑うグヮモン。そんなグヮモンを守るかのように、その前にサロアとリディが立った。
「彼らをさがすのには苦労しましたよ。魔皇帝サロアとその妹リディ。その資格を受け継ぐべき者を見つけるのにはね。しかし、言い伝え通り、面倒でもいくつかの街や村を順に滅ぼしたかいはありましたよ」
グヮモンはこともなげにそう言った。
「あなただったのね、私たちの村を襲ったのは!」
グヮモンをにらみつけるミシャ。
「おまえが…!」
ジュヴナントも驚きを隠しきれなかった。
「それがどうしたと言うんです」
グヮモンはすっと目を細めた。
「我々の眷属は、長い間、人間どもに迫害されてきた。私はね、決してその恨みを忘れたことはなかったですよ」
「いい加減にしなさいよ。そんな勝手な論理が許されると思って?」
詰問するクレア。だが…。
「何が分かるというんですか? 長年のこの苦しみの! 長年かかって、ようやくエスミの地からは人間どもを駆除することができた。あとは、山脈の向こう、ヴェンディだけです。だが、それも時間の問題…」
グヮモンの瞳の奥には、憎悪の炎が燃えていた。
「そう、あとは大魔王をよみがえらせるだけなんですからね」
事もなげに言うグヮモンに、ジュヴナントらは一瞬我が耳を疑った。
背後の巨大な石扉を見上げるグヮモン。
「ここに、我々はすべてそろった。後はこの扉を開けるだけです。もっとも、あなたたちはもう死ぬんですから、関係ないことでしょうが…」
唖然とするジュヴナントらを前に、グヮモンの笑い声が神殿の中に響き渡った。
その瞬間。笑い声に重なるようにして、大音響がとどろいた。
尾をひく流星。
天から降る火。
天の運命を、人の力で変えられるなら…。
ダリオットやカーラたちは、剣の山の山頂へ真っ赤な尾をひいて隕石が落下するのを見た。
「風よっ!」
最初に動いたのはエンターナだった。風の精霊が、とっさに流星の下へ回り込む。隕石の落下速度が鈍くなる。
「ドルス アイサ ネ カル…」
その間に、声高にカーラが呪文を唱えた。
呪文が、隕石と剣の山の山頂の間に局所的な高密度の結界を作り上げる。
隕石が結界につっこみ、結界が悲鳴をあげる。飛び散る火花と爆音。閃光と白煙。
結界を押しつぶしながら、隕石はその速度の大半を失い、まるでスローモーションを見るかのようにゆっくりと剣の山の山頂へと落ちていく。
すかさず新たな結界の呪文を唱えるカーラ。
結界は、一瞬のうちに広場全体を覆った。
その瞬間、隕石が山頂へ着床した。
山頂から放射状に広がる衝撃波。一瞬遅れて届く大轟音。岩石が砂塵のように飛び散った。
カーラの結界はその衝撃の大半を吸収していた。だが、広場を襲った衝撃波と振動は、その場にいたオークたちをパニックに陥れるには十分なものであった。
広場に怒声と喧噪が交錯する中、ただヒュロースだけが、剣の山を背に表情一つ変えなかった。
『…天から火が降る時、冥界の門開き、太古の魔王よみがえらん。地はとどろき、海は裂け、日は陰り、絶望が支配せんとす。彼の者集いし時、神々地に墜ち、全てが無に帰す…』
ガガッ!!
激しい衝撃。続く耳をつんざくかのような爆音。
「わっ…!」
「なっ…!?」
「…っあ…」
足下をすくう激しい衝撃が、神殿の中のジュヴナントたちを襲った。
全員が床の上に投げ出された。堅い床の上に転がる。天井からパラパラと破片が降っている。
「…っ、…何なんだ?」
地響きが続く中、ジュヴナントは独白した。
「急げ! 早く船をその岩陰に入れるんだ!」
海賊船の甲板で、グレス一家の頭領ファンは、船員に向かって大声で怒鳴っていた。だが、その間もファンの目は剣の山へと向かって落下する流星に釘付けとなっていた。
そして、ようやく船が大きな岩陰へと入った瞬間、隕石の衝撃波が大地を吹き抜けた。
地を駆け抜ける衝撃波。大地が震え、海が轟く。爆煙が太陽の光をさえぎり、一瞬にして薄暗く翳る空。
隕石の余波は世界を駆けめぐった。
しかし、この隕石は序章にすぎなかった。本当に驚くべきことは、ここから始まった。
まだ、隕石の衝撃が醒めやらない。そんな時、舞い上がった爆煙で薄暗くなった空の遥か彼方から、突然いくつかの光の帯が広場へと降りそそいだ。
光の帯は、一瞬のうちに、その場にいた者を包み込んでいた。
「なっ…」
そのうちの一つがダリオットをとらえた。
「…海の男神…トリアーヌ…」
無意識の内に、ダリオットの口からそんな言葉が洩れていた。
「…な…バトス? 戦いの女神…バトスか…?」
カーラはまだ自分が信じられなかった。
「…動物の男神…トコロナ…」
「…そして、植物の女神…フィクロナ…」
エンターナとシンフィーナも呟いていた。
「…ん…? 職工業の男神…デコトリア…?」
キリアーノは茫然と立ち尽くした。
「…農業の男神…モルアグ…だって?」
「…商業の女神…マルって…」
馬上で、アルとマリーは顔を見合わせた。
「とうとう、時がきた…」
岩壁の上で、白竜が呟いた。
「そうですね、ベルム…いえ、ヴィンファ」
隣にたたずむ黒髪の女性が答える。
「なるほどね。統治の男神ヴィンファと文化の女神エクサ…か」
不意に、彼らの後ろから声がした。だが、二人はまったく驚かなかった。それは予期できた再会だった。
「ようやく来たか、我らが長男…セトよ」
まっすぐ前を見据えたまま、白竜はそう言った。
「星の男神セトとはね…」
苦笑しながら、その男は彼らの前に姿を現した。身にまとった黒装束とさらさらの髪がそよ風に揺れる。
流影セイナ。かつては、そう呼ばれた男。
「ようやく、戻ってきてくれたのですね」
カルナウィナラス - エクサがセイナの顔を見つめた。
「どうしてこの神殿に惹かれ続けたのかが、ようやく分かったよ。ここがおれの本来の居場所だったんだな。だが…」
そう言って、セイナはふっと笑った。
だが、そうとは気付かず魔の者の中に身を投じた責任はとらねばなるまい。
「じっとしているのは、性に合わないんでね」
言うや否や、セイナは剣をとりだし、急な坂を一気に駆け降りた。
「いやっほー!」
セイナの表情が喜々と輝いていた。
降臨の刻!
ミトルフォン=デ=アリエトゥーメ。第三の神々が地に降り立った。
- つづく -