片手を振り上げた黒騎士ロイアルス。そして、左右の岸壁の上に姿を現した新たなオークの軍団。
腕を振り下ろすロイアルスの合図とともに、オークたちは、ときの声を上げながら、急な斜面を駆け降る。
「こんな…」
迫りくるオークの姿に、キリアーノは目を見開いた。もはや、これほどのオークを相手にするだけの体力は残ってはいない。
累々とオークの屍が積み重なる広場に、再びオークの姿が満ち溢れようとしていた。
「…むっ。ここまで…か…」
苦々し気にキリアーノが呟いた時だった。
不意に、大音響とともに、岩壁の上に閃光をともなって炎が炸烈した。
驚いて空を見上げるキリアーノ。そこには、黒のドレスをまとった黒髪の女性の姿があった。空中に毅然と立つその姿。長い黒髪が吹く風に舞う。
「あんたたち、まだ諦めるのは早いよ!」
そう言って、その女性は、空中で手を横に突き出した。そこから次々と火球が生まれ、まだ岩壁の上にいたオークたちを粉砕していく。
カーラ・スウィーム。離れ山の魔女。
その姿を実際に目にするのは初めてではあったが、その力のほどは十分に聞き知っている。
キリアーノやエンターナ、シンフィーナの顔に再び希望の光が浮かんだ。
「私だって、負けないぞ!」
喜々とした表情で、漆黒の斧を振り回すキリアーノ。
エンターナの近くにいたオークたちの手足がとんだ。風の刃だ。
「近付くものは、容赦しない!」
凛とした声で、エンターナは言い放った。
シンフィーナの前で、オークの体がずると崩れ落ちる。
「死にたくなければ、ここから立ち去りなさい」
エンターナ、シンフィーナの迫力に、オークたちはじりと後ずさりした。
「あのこたちも結構やるねぇ…」
上空からキリアーノやエンターナ、シンフィーナを見下ろしていたカーラは、嬉しそうにそう呟いた。
「タルカサス、ヒュロース、エイリアム…、あんたたちの遺志はまだ消えてはいないよ…」
「ほぅ。あれをかわすとは、さすがだな」
爆発による床石の破片が降る中、サロアは嬉しそうに、そう言った。
「それでこそ、倒しがいがあるというものだ。頼むから、私を失望させないでくれよ」
神殿の中の一段高くなった所に立って、サロアは黒いマントをばさりと投げ捨てた。
碧の瞳がきらりと光る。
「はーっ!」
サロアは堅い床石を思いきり蹴った。美しい弧を描きサロアの体が軽やかに舞う。サロアは、そのまま最上段から、ジュヴナントめがけて、黒のレイピアを振り下ろした。
「…!」
とっさに後ろに跳ぶジュヴナント。髪が数本宙に舞った。
「レキュル!」
再び、ジュヴナントが叫ぶ。
と、サロアの後ろに控えていたリディが、ジュヴナントに対して呪文を唱えようと片手を上げた。
だがその瞬間、目の前に迫る圧迫感に、反射的にリディは顔の前に手を突き出していた。
バウッ!
手の中で、閃光を上げて消滅する火球。
火球を放った人間をキッと睨み付けるリディ。
「さすがに、簡単にはいかないみたいね」
苦々し気にクレアが呟く。彼女も、短い間とはいえ、同じ時を過ごしたルシア - リディとは戦いたくないのだ。しかし、この状況ではそれは叶わぬ願いというものだろう。
だが、そんなクレアの想いなど微塵も知らぬリディは、冷やかな茶の瞳をクレアに向けた。
「どうやら、私の相手はあなたのようね」
ぞっとするほど冷たい声で、リディはクレアに向かってそう言った。
ヤンの額からは脂汗が流れていた。
神殿の奥にある石造りの巨大な扉。そして、その扉の上に彫り込まれた大きな魔物の赤い目。そこから、自分の目が離せなかった。
その目は、ヤンをしっかと見つめていた。
天空を切り裂く火球。その赤い光があげる大音響とともに、岩壁の上のオークたちが次々と掃討されていく。
「死にたくないやつは、さっさと逃げるんだね!」
大声でそう叫びながら、カーラはまた新たな火球を放った。
地を揺らす爆発の振動とオークたちの喧噪の中にありながら、だが、黒騎士ロイアルスは黒馬にまたがったままその場を動こうとしなかった。
『なぜだ?』
これ以上の奥の手などはないはずだ。
キリアーノは、ロイアルスの姿に奇妙なものを感じた。
『退く気はないのか…?』
とにかく、あの黒騎士を倒せばかたがつくのだ。
幾人かのオークに囲まれているキリアーノに、それ以上深く考えている余裕などなかった。
「じゃまだっ!」
黒斧を振るう。
飛び散るオークの血しぶきの間をぬって、キリアーノは黒騎士ロイアルスの元へと急いだ。
「ぐっ…。どうしたと…いうんだ…」
割れそうに痛む頭を押さえながら、ふらつく足でミリアーヌは立ち上がった。
「…そうだ。あのクレアとかいう魔法使い…」
ミリアーヌは、ようやく混乱した記憶をたぐり寄せることに成功した。
「扉…は…?」
彼女は背後の扉を振り返った。
扉は閉まっていた。だが、ジュヴナントらがこの中にいるのは間違いない。
ならば、行かねばならない。この中にはサロア様とリディ様がいるのだ。
行かなければ…。
樫の扉まで実際には数メートルも離れていなかったが、ミリアーヌの目には遥か彼方のもののように映った。
倒れ込むかのようにして、ようやく、ミリアーヌは扉に手をかけた。
陽光に黒い剣が鈍くきらめく。
不意に、黒騎士ロイアルスは手にした剣を高く掲げると、黒馬をかって丘の斜面を駆けさせた。
「な…うわっ…!」
ロイアルスのすぐ近くまで来ていたキリアーノは、駆け降りる黒馬に弾き跳ばされるかのように地面に転がった。
ロイアルスの姿に、一瞬、オークたちの動きが止まった。だが次の瞬間、浮き足立っていたオークたちが、いっせいにキリアーノやエンターナらめがけて襲いかかってきた。
「何だこいつら?」
キリアーノの斧やエンターナの風の刃が飛ぶたびに、オークの首が飛び、屍の数を増やしていく。だが、そんなことにはまったく目もくれずに、次々と新手のオークが襲いかかってきた。今は、死よりも恐怖が、オークたちを熱病のように支配していた。
「要はあいつを倒せばいいんだよっ!」
そう叫んで、カーラは黒騎士めがけて火球を放った。豪音とともに、巨大な火球がロイアルスに襲いかかる。
だが、ロイアルスの姿がゆらりと揺れた。そう思った瞬間。火球はロイアルスの体を突き抜け、後方の丘に突き刺さっていた。
「な…、ばかなっ!」
今、目の前で起こったことが信じられなかった。
「そんなことっ!」
カーラは次々と火球を放った。だが、そのすべてがロイアルスに触れることすらなく、地面に大きな穴を伺うだけなのだ。
「ちぃっ!」
振り下ろしたカーラの両腕から放たれる火球。だが、ロイアルスは、ふっと剣を引いてその火球を受け止め、そのまま薙ぐようにして火球を弾き返した。
「!」
とっさに、身をよじって火球をかわすカーラ。
カーラをかすめた火球が、爆音を立てて岩壁に激突する。爆音。そして、破壊の渦。舞い上がった土煙や岩の破片がカーラの背後に降る。
カーラの額には冷や汗が浮かんでいた。
「そんなことが…」
消え入るような声で、カーラは呟いた。
呪文が効かない…。
無数のオークを従える黒騎士ロイアルス。この黒騎士を倒す術はないのか…?
重い空気が、流れる。
「誰だ、おまえはっ!」
石の門に目を奪われていたヤンは、神殿の柱の影に人影を認めた。
「な…」
何者だ、と叫ぼうとしたヤンは、それ以上声が出せなかった。金縛りにあったかのように、突然、身動き一つできなくなっていた。まるで、指の一本にいたるまで、蜘蛛の糸に絡め取られたかのようだ。
「ふっふっ。私に気付きましたか…」
それは、柱の影からヤンの前に姿を現した。
頭頂のとさかと左右に三本ずつ突き出した突起。爬虫類のような冷たい目ととがった口。太った土色の体。
ぐっと睨み付けるヤンに対し、白い神官服をまとったその魔物は、押し殺した声で笑った。
「とりあえず、黙って彼らの戦いぶりでも見ようじゃないですか」
そう言って、グヮモンはあごでジュヴナントらを差し示した。
サロアの剣をジュヴナントが受ける形で、二人の戦いは続いていた。
「どうした! なぜかかってこない」
黒のレイピアを繰り出しながら、サロアはジュヴナントに向かって叫んだ。
ジュヴナントが、サロアの振り下ろした剣を左に跳んでかわす。レイピアが空をきる。
「一緒に戦った仲間じゃないか! 思い出してくれ!」
問いかけるジュヴナントに、サロアはふっと笑って答えた。
「そんな昔のこと、とうに忘れたわ」
「レキュル…」
サロアの浮かべた不敵な笑いに、ジュヴナントは歯がみした。
「はぁっ!」
クレアは雷帝の杖を突き出した。その先端から飛び出した雷が、闇を切り裂くかのようにして、リディに迫る。
目のくらむほどの閃光。
だが…。
「この程度かい?」
リディは軽く手を振っただけだった。それだけで、リディのまわりの稲光は、バチッという小さな音をたてて消滅したのだ。
「えっ…!」
不意の出来事に、クレアは目を丸くした。
雷は完全に消滅したのだ。何の抵抗も示すことなく、突然に。
「次はこちらからいくよ」
そう言って、リディは手を胸の前で組んだ。
リディの口から、低い呪文の詠唱が洩れる。
「…ジャリア フェン ナ オルト…」
リディの声が神殿の中にこだまする。リディの両手の中に強大なエネルギーが蓄えられていく様子が、クレアの目にもはっきりと分かった。
「さぁっ!」
リディが組んでいた両手を解放した。エネルギーが奔流となってほとばしり、散弾のように放射状に広がる。
「…くっ…」
とっさに、呪文で防御壁を張るクレア。だが、そんなものは弱々しい抵抗にすぎない。
一瞬にして防御壁が砕かれ、エネルギーの流れがまともにクレアをとらえた。
「は…ぅ…」
クレアの体が宙に舞った。
「えっ!」
それは、ミリアーヌが扉を開けたのと同時だった。
閃光とともに押し寄せる激しいエネルギーの流れ。
「うぁっ!」
突然、ミリアーヌはその流れの中に飲み込まれていた。首にかけていた赤い宝石のネックレスが揺れ、散弾の直撃を受けて砕け散る。
赤い宝石の破片とともに、ミリアーヌもまた激しく吹き飛ばされていた。
『…いったい…?』
うすれゆく意識の中で、ミリアーヌは茫然とそんなことを思った。
閃光がゆっくりと収まっていく。
「クレア! ミシャ!」
ジュヴナントが叫んだ。二人とも石の床の上に伏したまま、動く気配すらない。
「ジュヴナント・クルス! よそ見をしている暇はないぞ!」
そう叫んで、サロアはジュヴナントに斬りかかった。
「…!」
気付くのが一瞬遅れた。
サロアのレイピアの鋭い刃が、鎧の隙間からジュヴナントの左肩を深く切り裂いた。
バッと赤い血が飛ぶ。
「ぐっ…」
「ここまでだな」
がくりと膝をついたジュヴナントに対して、サロアが勝ち誇ったかのように笑った。
- つづく -