竜騎士伝説

Dragon Knight Saga

第10章 最後の戦い その3

「ジェンラウァよ。ここにいたのか」
「国王様」
 狭い部屋の扉を開けて、クワラル三世が部屋の中に入ってきた。
「どうなされたのですか? こんな時間に」
 ジェンラウァが尋ねる。無理もない。もう時刻は夜半をまわっているのだ。
「なかなか寝つけなくての」
 そう言って、クワラル三世は部屋の中の小さな椅子に腰掛けた。ランタンが灯してあるとはいえ、部屋の中はあまり明るくはない。その部屋におかれたただ一つの机の上で、ジェンラウァは独り何冊かの本を広げていた。
「のう、ジェンラウァ」
「何でしょう?」
 尋ね返すジェンラウァ。クワラル三世は一呼吸おいてから、口を開いた。
「我々は、本当に勝てるのだろうか…?」
「国王様…」
「弱気になってはいかんことは分かっておる。じゃが、この戦い、あまりにも犠牲が大き過ぎる」
 クワラル三世はそう言って、大きなため息をついた。その気持ちはジェンラウァにも痛いほどよく分かる。
「国王様。我々にできることは信じることだけです。勝利を信じ、最善を尽くしましょう」
 ジェンラウァの声は穏やかなものであった。クワラル三世に答えているだけではなかった。ジェンラウァは、自分自身に対して、しっかりとそう言い聞かせていたのである。


「おい、何だよこの廃墟…」
 荒れ果てた広野のただ中に現れた村の廃墟に、ヤンが思わず声を上げる。
 それは、これまで草木すらまばらな赤茶けた広野を旅してきた彼らにとって、突然に現れた建造物であった。
 だが、石を積み上げて作られたのであろう建物の多くは、わずかに原形を残すのみであり、一部は砂の中に埋もれつつある。表面には乾いた土がこびりついていた。
「昔はエスミにも大勢の人が住んでいたってきいたことがあるけどけど…」
 クレアがぼんやりとそう呟く。
「これがそうだってのか?」
 ヤンにはまだ納得がいかない。無理もない。大陸の西部<ヴェンディ>に住む者にとって、悠久の山脈の東<エスミ>とは、人など住めない地域をこそ示していた。
「しかし、うち捨てられてから、もうずいぶんたっているな…」
 石造りの家の柱を調べながら、ジュヴナントは呟いた。
「確かに、この様式はかなり昔のものです」
 キリアーノもそう言った。ドワーフである彼は、こういった石造りの建造物には詳しい。
「でも、調べても何も出てこないだろうね」
 ジュヴナントは苦笑した。
 人々がこの地を去ってから、少なくとも二百年以上がたっているのだ。たとえ何らかの痕跡が得られたとしても、彼らの役にたつものではあるまい。
「さあ、先を急ごう」
 ジュヴナントはそう言って、振り返った。
 彼とともに道を行く者は、他にエンターナとシンフィーナのエルフの兄妹にトットがいるのみである。
 総勢七人のパーティー。
『これが明日のヴェンディの姿にならないように…』
 ジュヴナントはそう固く心に誓った。
 世界の命運を背負う彼らの先に待つ運命を、知る者はいない。


 岩礁に押し寄せては砕け散る波しぶきが、風に乗って磯の香を運んでくる。数羽の海鳥が、高く低く鳴きながら宙を舞う。
 そんな岬の岸壁に、薄いグレーのローブをまとった白髪の老人が独り腰を下ろしていた。手には節くれだった長い杖。顔に刻まれた深いしわと、眼前の海より深い蒼の瞳が、誰をも寄せつけない雰囲気を醸し出していた。
「こんなところにいたんですか」
 だが、そんな彼に声をかけるものがあった。
「おぉ、これは珍しい」
 老人は、驚いたふうもなく振り向くと、顔をほころばせた。
 肩まであるまっすぐな銀髪に、左がエメラルドグリーン、右がサファイアブルーのヘテロクロミア。手にはいつもの小さな竪琴を持っている。
 アルバトロ・シーモア・クレスタ。それが吟遊詩人である彼の名であった。
 そして、老人の名はルーンヴァイセム。言わずとしれた大魔法使い。
「少々お疲れのようですね」
 クレスタが笑う。
「久しぶりの大仕事じゃったからな。年寄りにはこたえるて。じゃが、それよりもいいのか、こんなところにいて?」
「東…ですか」
 ルーンヴァイセムの問いに、クレスタは東の空を見上げた。
「その役目なら、私よりももっとふさわしい人に譲りましたよ」
「大陸一の吟遊詩人の君よりも、かね?」
 岩の上に腰を下ろしたまま、いたずらっぽくルーンヴァイセムはクレスタを見上げる。その瞳を見つめたまま、クレスタは芝居がかったため息をついた。
「それを言ったら、ルーンヴァイセムどのも一緒ですよ」
 そして、海を見つめる。
「この問題は彼らの手でかたを付けるべきでしょう。我々ではなくてね。それに…」
 クレスタは特上のほほえみを浮かべ、竪琴をかき鳴らした。
「私は詩を詠っている方が好きですから」
「…望むと望まざるとに関わらず、最後にその役目をになう者たちは、はたして…」
 ルーンヴァイセムの呟きが、風に溶けた。


 それから約三週間が経過した。
 待つ者。道を行く者。それぞれが様々な思いを胸に抱きながら、時間は過ぎていった。
 その間、目立った大きな変化は起こっていない。
 だが、静かに、そして確実に、最終決戦の刻は近付きつつあったのである。


 荒れ果てた黄色い大地。起伏の激しい土地に、背の低い潅木がしがみつくかのようにしてまばらに茂っていた。吹き荒ぶ風に砂が舞う。砂嵐のせいで、地平線は黄色く霞んでいた。
 荒野を行くジュヴナントらの先に、ようやく剣の山が、姿を現し始めていた。
 後、どれくらいの距離なのかははっきりしない。
 ここに来るまでに、いったいいくらの敵を倒したのだろう? 後、どれだけ戦えば終わりがくるのだろう? 安堵感と不安が入り交じった何とも言えない心境…。
 だが、とにかくも最終目的地が見えたのだ。
 彼らは、無言で足をはやめた。

「これが剣の山なのか…」
 ジュヴナントは、ずいぶんと間近に迫った巨大な山を見上げ、そう呟いた。
 剣の山の向こうに広がる隠蔽山脈<フルスクローザ=デ=ナンテ>の峰々は、そのほとんどが悠久の山脈の最高峰である雪の三姉妹よりも高いのだ。だが、剣の山は、その隠蔽山脈の峰々さえも遥か下に見下ろすかのようにしてそびえ立っている。
 それは剣の山<ソール=テア=ナンタ>の名にふさわしい威容だった。
 切り立った急な斜面。遥か頭上の雪に覆われた頂上付近には、細い雲がたなびいている。
 彼らは、しばしその姿にみとれた。
「ジュナ、どうする?」
 しばらくして、ヤンがジュヴナントに尋ねた。
 剣の山の中腹に、大きな神殿が見える。その神殿に行くには、正面から山を登るという選択肢以外は不可能に思える。
 真正面から向かったのでは、敵の思うつぼであろう。だが、この山を見る限りでは、ほかに道はない。
「行くしかないだろ。無茶だとは分かっていても」
 剣の山を見上げたまま、ジュヴナントは答えた。
「だな」
 ヤンが頷く。
「そうね、仕方ないわね」
 クレアもジュヴナントに同意した。ここまで来たら、後は一気に敵を蹴散らすだけだ。
「みんな、いい?」
 クレアが振り返った。エンターナ、シンフィーナ、キリアーノ、そして、トットが頷く。
「そういうことよ」
 そう言って、クレアはジュヴナントとヤンに微笑んだ。
「さあ、行きましょう」


「いよいよだな」
 薄暗い野営地のテントの中で、コルエアは隣に座っているサマラチカの顔を見た。
 テントの中央に置かれたランプが、静かに揺れる光を投げかけている。
 近衛隊の赤の部隊隊長のコルエア。同じく青の部隊隊長のサマラチカ。この二人こそが、ベルタナスの誇る最強の近衛隊を率いていた。
 今、二人はテーラ川沿いの街、カナトーセの北の平原にテントをはっていた。まわりには近衛隊を中心とした三千ほどの兵が陣を構えている。
「…ああ」
 緊張した面持ちでサマラチカが答えた。
 オークの集団がこのあたりを跳梁跋扈するようになってから、まだ、あまり日はたっていない。しかし、オークの攻撃は、急速に激しく、また大規模になってきていた。そのため、急遽、赤の部隊と青の部隊はカナトーセに向かうことを命じられたのだ。
 だが、そんな折、オークの大群が、グリトア=ヴァナントを越え、カナトーセの北に向かって進軍しているとの情報が入った。
 コルエアとサマラチカは急いで部隊を移動すると、オークを迎え討つべく陣をはった。
 しかし、オークの軍勢は数万とも言われている。
 はたして、たったこれだけの兵力で勝利することができるのか…。だが…。
 ベルタナスの王都ナムラを発つ時のジェンラウァの姿が胸に浮かぶ。

 窓の外には鉛色の厚い雲がたちこめていた。
 ジェンラウァの部屋の中で、コルエアとサマラチカは黙って立っていた。
 すっかりほおがこけ、目が窪んでしまったジェンラウァの顔。
 ベルタナス王国の参謀長として国中に広がる軍を統轄し、オークの先手をうって攻撃する。ジェンラウァの手腕で、ベルタナスは周辺諸国の中でもっとも激しい攻撃を何とかしのいでいた。
 犠牲者が一人でも少なくなるようにと、ジェンラウァは休む時もなかった。
 ジェンラウァが二人の目をじっと見つめる。
 やがて、ジェンラウァが重い口を開いた。
「すまないが、すぐに東に出発してほしい」
 ジェンラウァの言う東とは、悠久の山脈の西、黒がね山脈の北に広がる平原のことである。最近、オークの攻撃が急速に激化している地域だ。
「おそらく最後の決戦が迫っている。君たちには、このナムラにとどまっていてもらいたかったのだが、そうも言っていられなくなった」
 ジェンラウァが一息入れる。
「もしも、オークが東の国境を越えるようなことになれば、ベルタナス中が戦火に包まれるだろう。何としても、それは避けなければならない。頼む。オークたちをくいとめてくれ」
 それだけ言って、ジェンラウァは二人に対して深く頭を下げた。

「ここが、われらの腕の見せどころというわけだ」
 風吹き荒ぶ東の平原。
 ベルタナスの命運を両肩に担う。その使命の重さに、コルエアとサマラチカはぶると身震いした。

- つづく -