ジュエリの祖母ジェンカは立派な魔法使いである。おそらく村の誰に聞いても同じ答が返ってくるだろう。それはジュエリといえども認めざるを得ない。
もちろん、魔法使い自体はたいして珍しいものではない。こんな山間の小さな町ですら、何十人も自称魔法使いがいるくらいだ。学校でも基礎的なことはみんな学ぶし、卒業後、魔法使いを目指す者も少なくない。
だが、魔法だけで生活できるような本当に力の強い魔法使いとなるとそう滅多にいないのだ。ほとんどが何らか別の職業に就かざるをえない。
だから、ジェンカのような高名な魔法使いに弟子入りできる彼女を同級生のみんなは羨ましがった。
ジュエリは学校を卒業後、両親のそばを離れて祖母の所に住み込んでいた。ジェンカの家は赤い屋根の二階建の小さな家で、村の南の外れにぽつんと一軒建っている。
赤い屋根のお屋敷(?)と言えば、村では有名だった。
そりゃあ、私だっておばあさまの所で魔法を教えていただけるなんて運がいいと思うわ。でもねぇ…、おばあさまがもう少し細かいことにこだわらない人だったら…。ま、こんなの贅沢かもしれないけどさ。
それがジュエリの本音だった。
さて、と。お小言は免れたけど、おばあさまが帰ってくるまでに仕事を済ませないと、今度こそ本当にお小言だわ。とっとと済ませてしまいましょう、とジュエリは言われた仕事に取りかかった。
お小言よりは仕事の方がまだましだもの。
ジュエリは、昔から本を読むのが好きだった。特に村の図書館にある冒険小説と呼ばれる類の本の中で読んでいないものはないといってもいい。小さな頃から、しょっちゅうベットの上で独り本を読みながら想像の翼を広げたものだった。
大きなお城の王子様に会ってみたい。冒険者になって、自由に世界を飛び回りたい。みんなをびっくりさせるほどすごい魔法が使えるようになりたい。それから、それから…。
大きくなった今では、もちろんそれが小説の中だけのお話であることは分かっている。でも、憧れはやっぱり今でもなくならない。
それに、ジュエリが特に魔法使いに憧れるのも、おそらくは祖母の存在があってのことだろう。本人はそれに気づいていないようであるが。
ジュエリはふと窓から空を見上げた。
青い空を楽しそうに飛んでいく小鳥たちが見えた。
太陽がやけにまぶしくなっていた。
もうすぐ5月。ジュエリもようやく17歳の誕生日を迎える。
ジュエリが仕事に取りかかってから10分程であったろうか。もっとたってるかも、後から考えるとジュエリにはそうも思える。
とにかく、それは突然、開いていたままの窓から飛び込んできた。
音もなくふわふわと宙に浮いたまま。それは、部屋の中央にある机の上までくると、ぴたりと静止した。
な…何なのよ、いったい…?
白くて、小さくて、なめらかな楕円体。
それは、どこからどう見ても<卵>にしか見えない。
卵…?
突然の来訪者に、とっさに声も出ない。
ジュエリはごくりとつばを飲み込み、目の前に浮かんでいる卵に怪訝そうな視線を集中させた。
まあ、害はなさそうだけど…。いったい何なの、これは?
ジュエリは卵とにらめっこを続けた。が、卵は机の上に浮かんだまま、微動だにしない。
これじゃ埒があかないわね。と、ジュエリは卵に言った。
「ちょっとあんた、何か言ったらどうなのよ! いきなり黙って人の家に入ってきてさ…」
「私は、卵の妖精と言います」
「…!」
しゃ…しゃべれるんなら、最初からそう言いなさいよ!
自分で言っておいて何だが、ジュエリはまさか卵ごときがまともに答えるわけはないと鷹をくくっていたのだ。そこへ返ってきた落ちついた返事。
「…で、あんた、いったい何の用なの?」
ジュエリは卵から目を離さずにして尋ねた。
卵の妖精ですってぇ! 何よそれ! そんなの初めて聞くわ。
ジュエリとて、見習いとはいえ、魔法使いのはしくれである。妖精についてはいろいろと勉強もした。特にジュエリは、暇を見つけて…と言うか、実際は仕事をさぼってだけど…、おばあさまの本棚にある分厚い本はほとんど全部読んでしまっていた。
だから、ジュエリは自分が知らない妖精なんていないという自負がある。
でも、卵の妖精って、そんな変な名前の妖精なんて聞いたことも見たこともないわ。どういうこと? おばあさまの本に載ってない妖精? そんなはずないわ。
何だかんだ言っても、ジュエリも祖母のことを尊敬していた。もっとも、本人はそのことを認めたがらないだろうが…。
…誰かが私をからかっているのかしら?
ふとジュエリは、同級生か誰かが、ジュエリを驚かそうとして窓の外から卵を飛ばしたんじゃないかと考えた。
それなら、卵の妖精なんて知らないのも説明がつく。
ジュエリは窓の外をちらっと見たが、人影は見えない。だが、このあたりは木が生い茂っているので、隠れるのはさほど難しいことではないのだ。
誰かしら? 癪だわね。…そうだ! こいつを捕まえて卵焼にでもしてやれば…。いい考えだわ。捕まえてやろっと。
そこで、ジュエリは、自称<卵の妖精>に話しかけた。もちろん、捕まえようという素振りなどおくびにも出さずに。
「…ねぇ、卵の妖精さん。あなたはどこから来たの?」
優しい声で話しかける。
「私は、一生に一度だけ、人のもとを訪れるのです」
卵の妖精は、ジュエリの言葉を無視して言った。
「一生に一度ですってぇ?」
ジュエリは質問を無視されたことなど忘れて、思わず卵の妖精に問いただした。
「ちょっと、どういう事よ! ちゃんと私に分かるように…」
「私は、あなたを招待する為に遣わされたのです」
卵の妖精はジュエリの言葉をさえぎるようにして言った。
そして…。
「えっ! な…」
ジュエリが何か言おうとした時には、彼女の体はまぶしい光に包まれていた。
急速に景色がゆがんで、そして気を失った。
- つづく -