以前に「ローマ字問題」を書いてから、そもそも言語とは何なのだろうというということを考えるようになった。調べてみれば、例えば「一定のきまりに従い音声や文字・記号を連ねて、意味を表すもの」等とあり、確かになるほどという感じである。
そこで、個人的に言語を定義してみることにした。言語とは「情報伝達のため要素を規則で繋いだもの」となろうか。要素とは語彙のような各種品詞、規則とは文法のような要素の使い方のことである。
要素は比較的変わりやすいが、規則は比較的変わりにくいと考えられる。要素や規則の多少の変化は「方言」としてとらえられ、要素と規則が大きく変わると「別の言語」として区別されるようになる。その境界線は曖昧であるが、分類という行為である以上、仕方がないことであろう。
なお、言語とは、人が日常的に使用するものだけではない。例えば、動物の鳴き声であっても、そこに要素と規則があるのであれば、言語である(何語と呼ぶのがよいのか別にして)。さらに、コンピューター等に命令を与えるプログラミング言語に至っては、情報を伝達する相手は生物ですらないが、これも言語ではある。
余談だが、最近よく耳にする「やさしい日本語」とは、理解しやすいように、要素や規則の一部を制限した日本語である。さしずめ、これは日本語のサブセットと言うことができるのだろう。
また、実は文字体系というものは、言語にとって必須ではない。日本語の要素を日本語の規則で繋いでいるのであれば、漢字・かなで書こうが、アラビア文字(ローマ字)で書こうが、他の表音文字で書こうが、それらはすべて日本語ということになる。点字や手話であっても例外ではなく、要素と規則が日本語なら、それは日本語と判断できる。
もちろん、これは日本語以外の言語についても同様である。例えば、カタカナで表記しても、要素と規則が英語のものなら、それは英語である。
ただし、カタカナを知らない英語話者には、カタカナ表記の英語は伝わらない。文字による情報伝達のためには、お互いが同じ文字体系を理解していることが必要である。ただ、それはすなわち、カタカナという文字体系を理解している英語話者同士でならば、カタカナ表記の英語でも情報伝達が可能ということでもある。
つまり、文字体系というものは、ある程度言語から独立していると考えた方がよい。もちろん、ある言語を表記するのに最もよく使用される文字体系というものは、それぞれ存在する。しかし、言語と文字体系は、決して1対1で対応しているわけではない。お互いに影響を受けつつも、それぞれが別の生態系であると考えた方がしっくりくるのである。
ならば、文字を見て何語であるのかを考えるというのは、ケースによっては無理なものなのだと、理解できるのである。
了