日本語を構成する文字体系として知られているのは、漢字、ひらがな、カタカナであろう。漢字は表意文字、ひらがなとカタカナは表音文字にあたる。日本語のように、1つの言語の中に表意文字と表音文字の両方を含むものは珍しいようである。
しかし、日本語には、これら以外に「ローマ字」というものも存在する。これが、個人的に「ローマ字問題」と呼んでいる問題の出発点である。
「ローマ字」をウィキペディアで調べてみると、「仮名をラテン文字に翻字する際の規則全般(ローマ字表記法)、またはラテン文字で表記された日本語(ローマ字綴りの日本語)を表す」とある。このように、ローマ字には、表記法と日本語という2つの側面がある。
一般にイメージされるローマ字とは、「ある規則に則ってラテン文字で表記された日本語」になるのだろう。つまり、ローマ字(正確にはローマ字綴りの日本語)は、日本語であるが、文字としてはラテン文字を使用する。ならば、ラテン文字も日本語を構成する文字体系(単語レベルではなく、文章を記述するための、という意味)となるのだが、そのあたりの見解は識者に聞いてみたいところである。
さて、「翻訳」は「ある言語で表された内容を別の言語で表すこと」とされている。日本語の文章を英語等のラテン文字を使用する言語へと翻訳した場合、その文章はラテン文字で表記される。つまり、そのラテン文字で表記された文章は、その翻訳した言語で書かれる。そのため、文章である場合は、その言語が何かを決定することが比較的容易である。しかし、日本の固有名詞をラテン文字で(ローマ字表記法に従って)表記した場合、それがローマ字綴りの日本語であるのか、英語等のラテン文字を使用している言語なのかは、判断することができない。これが「ローマ字問題」である。
例えば、名古屋は、ローマ字表記法(ラテン文字)ではNagoyaとなる。ローマ字という方向から見れば、Nagoyaはローマ字綴りの日本語であるが、ラテン文字という方向からでは、Nagoyaが日本語なのかラテン文字を使用する他言語なのかは分からない。あくまで、日本語の文章の中に出てきたNagoyaは日本語(ローマ字綴りの日本語)で、英語の文章の中に出てきたNagoyaは英語…というように、前後の関係(文脈)から判断するしかない。しかし、固有名詞単体で使用されているような場合では、そのような判断を行うことができない。
ならば、どう判断したらよいのであろうか。私は、それが誰に向けての表記なのかで判断するしかないのではないかと考えている。
例えば、Nagoyaという文字が記されている場合、当然その文字を記した人や組織があるはずで、ほとんどの場合、それは何らかの意図を持って行われたはずである。それが、日本語を理解する人に向けてのものであるならば、Nagoyaは(ローマ字綴りの)日本語であるし、英語を理解する人に向けてのものであるならば、Nagoyaは英語であるし、スペイン語を理解する人に向けてのものであるならばスペイン語、他のラテン文字の言語を理解する人に向けてのものであるならばその言語であるとする。もちろん、複数の言語が対象となっているのならば、それは複数の言語である(あるいは、兼ねている)としても構わない。1つの言語に絞ることは無意味である。
一方で、名古屋は日本の固有名詞なのだから、Nagoyaはローマ字綴りの日本語だという意見もある。しかし、それならば、例えば、Romaはイタリア語でしかあり得ないことになるし、極端な話として、ロンドンはカタカナ表記の英語だとなってしまう(もちろん、英語にカタカナという文字はないが)。
これが、「ラテン文字で表記された日本語」という出自を持つローマ字の複雑さであり難しさである。
つまるところ、言語とは、表現における道具である。
目的を理解することで、それがどのようなものなのかが明確になる。そのため、文字単体ではなく、前後の意味や提供者・受容者の意図を理解してこそ、初めて言語を論ずることができるのではないかと考えるのである。
了