あっ…。
ジュエリはふと我にかえって辺りを見回した。
どうして今まで気付かなかったんだろう…。彼女のそばを足早に通り過ぎる人、柱にもたれかかって考えこんでいる人、お喋りしながら歩いていく若いカップル…。この城の中にはたくさんの人がいた。
辺り一帯に和やかな空気がゆっくりと流れている。
平和な光景…。けど、何かみんなどっかで見たことがあるような気がするのよねぇ…。
心のどこかに引っかかるものを感じながら、ジュエリは首をかしげた。
悩んでいてもしかたがないし、他にすることもないので、とりあえずジュエリは城内をぶらぶら歩いてみることにした。
ガラスの彫像。大きなシャンデリア。多くの人が集うホール。天井を支える巨大な柱。どれもこれも、神の手によるものかと思えるほどの華麗さと美しさの調和の中にある。
しっかし、本当に綺麗なお城ねぇ…。これなら、いつまで見ていても飽きないわ。
ジュエリが感心しながら天井の高い広い廊下を歩いていくと、突然、立派な扉のある部屋の前にたどり着いた。その扉はとても大きく、表面には天使と花の豪華な装飾がなされていた。
まるで宝物殿みたいね。何が入っているのかしら?
ジュエリはふと立ち止まると、好奇心にかられて扉に手をかけた。
すると、扉はまるでひとりでに開くかのように軽く動いた。
ジュエリは慌てて手を引っ込めたが、扉はそのまま開ききってしまった。
「えっ!」
その中の光景にジュエリは思わず声を上げた。
部屋の中には大きな棚がいくつもあり、いろいろなものが飾ってあった。大小さまざまの古ぼけたぬいぐるみ、おとぎ話の絵本、かわいらしいお人形、小さな白いセーターに赤い手袋、色あせた古い日記帳…。
中には、あのウサギのぬいぐるみの姿もあった。
どれもこれも…、懐かしいものばかりじゃない…。
ジュエリは誘われるかのように部屋の中へと足を踏み入れた。
まるで、このお部屋には私の思い出がつまっているみたいね…。
壁一面に広がる棚を見まわしながら、ジュエリはそんなことを思った。
そう言えば…。
ふとジュエリは、ある事に気付いた。
『ここは夢の世界、心…』っていう卵の妖精さんの言葉でしょ…、ぬいぐるみのウサギに…それに…。
この世界にきてからのことが、走馬燈のように次々とジュエリの頭のなかを駆けめぐった。
そして、一つの可能性が心の中に浮かび上がる。
…試してみる価値はあるわね。…何がいいかしら…、そうだわ!
彼女は頭からワインレッドのリボンを外すと、両手で胸に抱えた。
『お願い、ウェディングヴェールになって!』
ジュエリは目を閉じて一心にリボンに念じた。
そして…。
ジュエリがゆっくりと目を開けると、彼女の両手の中のものはリボンから綺麗な純白のウェディングヴェールになっていた。
やっぱりね!
ジュエリは全てを理解した。
ここは私の心の世界。私の心が形になっている世界。このお城にいる人は、みんな私の心に住む人、だから見たことがある気がしたんだ…。
ジュエリはウェディングヴェールを床へ投げ捨てると、キッと天井を睨みつけた。
「卵の妖精さん、どうして私をこんな所へつれてきたのよ!」
ジュエリは、どこにいるとも知れない卵の妖精に向かって言った。
『ここはあなたの世界。人は一生に一度だけ、この世界に移り住む機会を与えられるのです。望みさえすれば、あなたはこの世界の住人になれるのです』
それは予期しなかった言葉だった。
再び、卵の妖精の言葉が頭の中に響く。
『迷いの森をぬけ、悲しみの草原を通って、喜びの城にたどり着いたあなたは、この城の中で暮すことができる権利を得たのです。喜びにあふれているこの城で…』
私が、このお城に住むことができるですって!
その言葉に、ジュエリの心は揺れた。
そりゃ、こっちの世界にいればさ、煩わしい仕事に悩まされなくてすむし…。願い事はすぐにかなえられるし…いつだって、好きな時にね…。確かに、この世界は魅力的よ…。このお城で暮せるなんてさ…。
『決めてください、さあ…』
でも…、でもね…。
ジュエリは叫んでいた。
「帰して! 私をもとの世界に帰してーーーーーっ !!」
気付くとジュエリは窓辺に立っていた。
いつの間にか泣いていた。
何も変わっていなかった。時間すらたっていないようだった。
ジュエリは頬に残る涙の跡を手でこすると、窓の外を一瞥した。
「私の知らない妖精なんてさ…」
ジュエリはそれだけ呟くと、窓に背を向けた。
リボンのなくなったジュエリの髪がふわりと揺れる。
祖母が帰ってくるまでに仕事を済ませてしまわなければならない。
それは、ジュエリにとって退屈な仕事だった。
- END -