最近、いくつかのウェブに関する書籍を読んだ。いずれも最新の書籍ではないので今は違うのかもしれないが、どうもこの手の書籍の中には、ウェブ自体やウェブ上のサービスの発展を、善悪にて論ずるものが多い気がする。
私の個人的な意見では、ウェブにしろサービスにしろ、これらは純然たる技術であって、善悪を論じること自体が不適当なものだと考えている。
ウェブの発展によって、人々の生活スタイルが変化したことは事実であるが、その変化がよいものか悪いものかは、客観的に判断することができない。なぜなら、結局のところ、その判断は個人的な主観によってしかなされないからである。
ウェブがインフラに近い位置にあるものであるからこそ、ウェブの発展が世に与えた影響は大である。既によく知られているように、ウェブの発展によって、既得権益を失う者もいれば、新たなチャンスを手に入れる者もいる。
しかし、資本主義の世界の中で物事が進行する限り、ウェブの発展によって、成功の果実を手に入れるプレーヤーが大きく変わることはあっても、競争社会そのものが無くなることはない。つまり、ウェブという技術そのものが、現在のところは、資本主義という大きなパラダイムをも動かすものではないと思われる。
つまり、ウェブの発展は、社会ではなくルールの変更に留まる。
現代は、人々にとって便利であるという方向へ発展の力が作用する社会と言える。そのため、ウェブの発展によっておこる様々な変化は、新しいルールに従って競争を行っている企業を除く、一般の人々にとっては、便利になっていくという性質のものと捉えられる。
一方で、便利になることと、善悪は別のものである。
例えば、自動車の発明(モータリゼーション)によって、移動時間は短縮され、我々は多くの恩恵を受けた。一方で、交通事故の増加や大気汚染などの問題も、同時に抱え込むこととなった。
しかし、自動車自体は機械であり技術である。自動車に関する問題の本質は、どうやって自動車と付き合っていくのかという点にある。
自動車に関する問題は、自動車を置き換える新しい技術が登場するまで続く。そのため、自動車自体の善悪を議論して決めるのではなく、自動車に関わる多数のルールを制定していくというのが、現代社会の流れである。
ウェブについても同様であると考える。すでにウェブが社会の中に深く入り込んでいるという事実から、人々がウェブとその上のサービスを便利なものとして捉えているという事は判断できる。一方で、ウェブの発展にともなう、生活スタイルの急速な変化が求められることへの疑問も理解できる。
だからといって、ウェブに対する賛美も忌避も不要である。必要なのは、どううまく付き合っていくのかという問いであろう。
月並みではあるが、何だかんだ言っても、自らの責任で賢く使いこなすことが、結局は求められるのである。
了