勉強の勉強

 4月です。桜の季節です。
 この春に、入学したり進学した方も多いと思います。1年のうちで、もっとも教室の景色が変わる季節。心機一転、清々しくいきたいものです。
 とは言うものの、学年が進むにつれて、勉強や宿題が難しくなってくるのもまた事実。それは、例えば、大化改新だったり三角関数だったりします。大化改新も三角関数も、日常生活で見かけることは無いですから。そんなことを覚えたって、日常では役に立たないんじゃないの?という気持ちも理解できます。
 では、なぜそんな思いまでして、勉強をしなければならないのでしょう?
 それは、勉強の仕方を勉強するためです。
 少し難しいと思えるような、ある事柄を覚えたり理解できたというプロセスを経験することで、物事の考え方や見方を学んでいるのです。
 なので、ある事柄を覚えたり理解「できなかった」というプロセスでは意味がありません。もちろん、将来、正解(結果が出せるか出せないかという意味も含めて)がない、もしくは正解が分からないような問題に向き合ったときには、「できなかった」というプロセスであっても、意味がある場合があります。でも、学校で勉強する事柄は、大抵において正解が存在します。
「できた」というプロセスを積み重ねていくことでしか、見ることができないものがあります。「できた」という経験値があってこそ、将来の「できなかった」を経験値にすることが可能になるのです。
 だまされたと思って、真剣にやってみましょう。きっとその時間は辛いはずです。でも、何年かたった後に、その時間が、実はかけがえのない時間であったことが分かるはずです。
 ただ1つ注意点。先ほどから何度も言っているように、「できた」というプロセスを積み重ねていくことに意味があります。「できた」ことの内容自体には、多くの場合、それほど意味は無いのです。教えられたことを、覚えること・理解することだけに満足して、そこで止まってしまってはいけません(要は「覚えた内容」ではなく「覚えることができたこと」が大事)。それはあくまでもプロセスであって、ゴールではないのですから。
「できた」ということが分かった人は、次の「できるかどうか分からない」ことに対しても、何らかのアプローチをすることができます。それが勉強というものの、本当の意味でのステップアップです。
 辺りを見通すためには、高いところに立たなければなりません。高いところに立つためには、険しくとも登らなければなりません。
 自分の視野を将来どこまで広げていけるか。それは、思ったよりも若い時代の土台が必要ということなのです。専門分野以外も含めたできる限り広い範囲で、「できた」ことを積み重ねていってください。いろいろなことに興味を持ってください。積み重ねることによって、いつか自然に身に付いていくものです。
 信じる信じないは自由です。あなたはどう思いますか?