ものの見方には、マクロとミクロがある。結論から言えば、その両方をバランスよく使いこなさなければならない。
人によって考え方はいろいろあるだろうが、私は、まずはマクロな見方で全体の傾向をバランスよく見ることが大切だと思っている。もちろん、バランスよく見ているつもりでも、そうできていないことも多いので、細心の注意が必要であるが。
その上で、主だったところから順にミクロを見ていく。
ミクロな見方は、共感や理解へつながる。そのため、最初にミクロから見てしまうと、最初に見た感覚に引きずられる可能性があり、それ以降のミクロの探し方や見方にバイアスがかかってしまう危険性がある。そのような理由で、まずはマクロから見ることが大切だと思っている。
ミクロを見る場合においては、すべてのもの(ミクロ)を見るのがもちろんよいのだが、それが難しければ、主立ったものを見るだけでもよい。想像力さえあれば、おおよそ全体は把握できるだろう。ただし、見ていないものが存在することを忘れてはならないのは、言うまでもない。
なお、主立ったものでないものの中には、眉唾なものも多く含まれるが、まれに画期的なものが含まれている場合がある。そのため、本気で先を見通したいのであれば、気合いを入れてすべてを見る必要がある。
ミクロを見る際には、何よりも真贋や将来性を見分ける眼が必要になる。もちろん、そういった眼は一朝一夕には身に付かない。しかし、マクロとミクロを行き来する見方を心がけることは、その一助になり得る。
ただし、そうやって得た結論であっても、当然のことであるが、人それぞれにより異なる。
だからこそ、人との議論が大切になる。立場にかかわらず、お互いがフラットに意見をぶつけ合い、建設的な議論できれば、きっと一人では見られなかった景色を見ることが可能になるだろう。
ただ注意すべきは、それらを自分ができていると過信することである。常に疑い、その一方で常に信じながら、自らの道を進まなければならない。
そのためには、ものの見方というものは、とても大切なものなのである。
了