コロナ世代

 新型コロナウィルス感染症、COVID-19。
 2020年初頭に日本に上陸後、徐々に全国に感染拡大。そして、3月2日からの小・中・高校等の臨時休校の政府要請。それを受けて、全国ほぼ一斉に休校がスタート。その後、緊急事態宣言が出されたこともあり、5月半ばまで多くの自治体で休校が継続。
 ここではこの措置の是非についての議論はしないが、この措置によって、多くの人々が大きな影響を受けたことは事実である。代表的なところでは、子どもを持つ親、学校の先生及び関係者、そして何よりも、当事者である子どもたち。
 子どもたちへの休校の直接的な影響は、まずは授業時間の減少だろう。宿題プリントの配布等は行われていたようであるが、突然の要請で十分な準備時間がなかったこともあり、休校期間の勉学の内容・密度が劣化したことは避けられない。そのため、勉強の遅れや学力の低下を気にする声は巷に強く、どさくさに紛れるかのように9月入学が取りざたされたりもした。とりあえず、それほど危機感が強くあったのだと思っておく。
 そして昨今、「コロナ世代」という言葉が、少しずつささやかれるようになってきた。
 コロナ世代と一言で言っても、まだその用語の意味は様々で、一律の見解があるわけではない。ただ、それらの中に「学力が低下した世代」というものがある。将来、「ゆとり世代」等と同様に、そのような意味で「コロナ世代」と当人たちが揶揄される時代が来るのかもしれない。
 しかし、個人的には、休校による授業時間の減少についてはそれほど心配していない。夏休み等の長期休みの短縮や学校行事の中止によって、最終的に大半の授業時間は取り戻すことが可能だと思うからだ(もちろん、コロナウィルスの再流行によって、再び休校とならなければという前提ではあるが)。
 むしろ、影響が遙かに大きいのは、休校や外出自粛によって、友達等に直接会えなくなったことだと思っている。そして、学校が再開しても、感染対策として人との距離を取ることが推奨されている。学校内外を問わず、直接的に人と接触する機会が大きく減少している。
 これにより、私は人との接し方を学ぶ機会が失われることを危惧している。
 人との接し方には、決まった正解があるわけではない。ただひたすらに、正解のない答を推測していくような作業である。若い内に試行錯誤を繰り返し、経験を蓄えながら、自分で身につけていくしかないものである。
 しかし、現在、コロナウィルスの流行で、人と接触する機会は大幅に少なくなってしまった。マスクで相手の表情が読み取りにくくなったのもマイナスだろう。試行錯誤をすること自体が、難しくなっているのが現状なのだ。
 そして残念ながら、たとえコロナウィルスの流行がなくなったとしても、この状況が元に戻ることはないだろうと思っている。
 人々に直接会う機会、というか、会わなければならない理由というのは、コロナウィルスが流行する以前から、ゆっくりと減少していたであろうからだ。
 オンラインショッピング、デリバリー、オンラインゲーム、SNS…。時代の変化は、あげればきりがない。コロナウィルスの流行は、大きな流れを変えたわけではなく、単に加速させただけなのだ。
 この変化が、人と人の接し方(コミュニケーションの在り方)にどのような影響を与えるのかはわからない。善悪ではない。わかるのは、確実に変わるであろうことだけである。
 急激な変化は、後に世代間に違いを生み、違いは軋轢を生む。
 そして、きっと大人は言うのだ。「だからコロナ世代は」と。