広告論

 初代iPhoneが発売されてから、かなりの時間が経過した。すでにiPhoneを知らない人の方が、少ないのかもしれない。従来の携帯電話の概念を変えた革新的な機種である。そして現在、Apple以外にも、各社から同様のコンセプトのモデルが続々と発売されている。
 iPhoneをはじめとしたスマートフォンが、市民権を得つつあることに、もはや異論はないだろう。そして、この流れはまだしばらく続くと思われる。そして、いつかは一人一台に近い状態にまで、スマートフォン(もしくはその後継機種)が普及すると予想される。
 3~6インチという大型画面、タッチパネルという簡便な操作体系、パケット定額によるネットへの常時接続。これらの要素が確立されることによって、ここに初めて「真のパーソナルディスプレイ」という市場が立ち上がった気がするのである。
 一方、Webの世界では、Googleが隆盛を極めている。乱暴な言い方をすれば、Googleはこれまで有料であった各種サービスを、民放テレビのような、広告モデルを採用することによって、一気に無料にしてみせた。そして、これが多くの利用者の支持を得たのである。
 いや、利用者だけでない。Googleは、同社の優秀な検索サービスと連動させることにより、パソコンを操作している人にとってその時最適と予想する広告を提供する。これは、容易に他社の追随を許さない検索連動型の広告システムであり、広告を見ている人に対して最適化させる、パーソナライズ化という手法を追求したものであると考えられる。そして、この手法は、広告のクリック率、つまり費用対効果を劇的に高めることに成功した。
 このような費用対効果の高い広告システムは、広告提供主にも大いに歓迎されたことだろう。徐々に、テレビや新聞などの従来のメディアから、Webへと広告の比重が移動してきているのは、いわば自然な流れとも言える。
 そして、テレビ、パソコンに次ぐ、スマートフォンという巨大な真のパーソナルディスプレイ市場の立ち上がりである。
 Googleをはじめとした各社が、この分野の広告事業に参入してくる(既に参入している)のは想像に難くない。そして、その目指す先は、当然、究極のパーソナライズ化だろう。つまり、使っている人が、その時にもっとも興味を持ちそうな広告を遅滞なく提供する、ということである。費用対効果の高い広告システムは、そのまま広告主からの収益に直結するため、各社の技術開発が加速していくことだろう。
 そしてもう一つ。デジタルサイネージというものがある。これは、簡単に言えば、街頭にあるディスプレーを利用し、通信によって表示内容を更新可能な広告システムである。従来の街頭広告が、手作業で貼り替えないと更新されなかったのに対し、いつでも好きなタイミングで表示内容を変えることができる。この特性を活かし、デジタルサイネージが個人認証と結びつくことによって、街頭広告もパーソナライズ化への道を歩もうとしている。
 現在馴染みのある、新聞やテレビの広告は、いずれこれらのパーソナライズ化された広告に取って代わられるのだろうか。それはとりもなおさず、従来の広告収入システム上に成り立っている新聞やテレビの死滅を意味する。いや、そもそも、新聞やテレビというもの自体が、今後パーソナルディスプレイの中に取り込まれていくのだろうか。
 興味のある内容についての広告を適切なタイミングで提供してくれるということは、利用者にとっても悪いことではない。これだけ情報化が進んだ社会の中では、望むものを見つけることですら、かなりの労力を必要とする。特に時間のない時には、ありがたく感じる場面も多いだろう。
 しかし。しかしである。
 人は、自らが興味を持ったものだけから、知識を得ているわけではない。
 確かに、例えば、新聞の折り込みチラシは、大半が不要な内容である。必要と思うものさえあればよいと思うこともある。だが、たまにふと目をやったチラシから、思いも寄らない知識(そんな大それたものではないことが大半だが)を得ることは、実際に少なくないのである。
 もちろん、そのチラシが望むような購買行動に繋がることは少ない。ただ、こんなことがあるのだ、という知識が得られるのみである。
 広告主から見れば、このチラシを新聞に入れたことにはメリットがなかったことになる。しかし、チラシを見た人にとっては、形にならないメリットがあったということなのである。
 そして、今後の広告のパーソナライズ化とは、購買に繋がらない広告を、つまり、このような形にならないメリットに出会える確率を、小さくしていく流れなのである。
 世の中が資本主義の理論で進む限り、淘汰によって費用対効果の高いシステムが残っていく。広告にも、必然が求められていく。従来の、偶然出会う広告というものは、少なくなっていくと想像できるのである。
 これは、真の意味で、利用者にとってメリットがあることなのであろうか。
 企業が利潤を追求するという限りにおいて、この懸念は払拭されることはない。それは、とりもなおさず広告料も有料だからである。
 ならば、この事態を打破するには、利潤を得つつも広告料を無料とできるようなビジネスモデルが必要となるのであろうか。利用者に対して、形にならないメリットを訴求でき、それでいて全ての関係者がメリットを享受できるという未知のモデル。
 妙案はまだない。ただ、懸念が残るのみである。