ものに魂は宿るか?

実は先日、傘をなくしました。
原因はすべて私にあって、出張の帰り道、新幹線の中に傘を置き忘れてしまったのです。
慌てて戻ったものの、すでに時遅し。結局傘は見つからず、かなりへこんだものでした。
そして、その時の気持ちは、惜しいことをした、ではなく、申し訳ないことをした、だったのです。
ものに魂は宿るか?
そうきかれたら、きっと私はyesと答えるでしょう。
ではいつ頃から、そう思うようになったのか?
はっきりとは思い出せませんが、私はかなり昔からそうであった気がします。
もしかしたら、それは最初は決して裏切らないものへの憧憬であったのかもしれません。しかし、いつからか境界は曖昧となって、私の中に同居しているような気がするのです。
人が一人で生きていけないのと同時に、いろいろなものに囲まれて生きているのも事実です。
人と同じように、ものもきっと何らかの意味を持って産まれてくるのではないか。
そうであるならば、最後までしっかりと使命を全うさせてあげたい、という想いです。
もしかしたら、それがものを大切にするということに、繋がるのかもしれないですし。もったいないとは、また少し違ったものなのかもしれないなと、感じるのです。
もちろん、人によっては、ものに執着しない人もいますし、決してそういうスタイルが悪いことだとは思いません。
結局は、人やものへとの向き合い方を、ちゃんと考えるということだと思います。
その結果としての私のスタイルが、ものに対しても思いを抱くというものであったということです。
単なる愛着だけでなく、存在意義まで含めて、考えていたいと思うのです。
もっとも、そんなことばかり言っていては、ものはなかなか捨てられず。いろいろなものが、家の中にたまりがちになるのも、また事実なのですけれど。
まあ、蓄えこんでも、活かしてあげられなければ意味はないのですから。
とりあえずは、厳選してものを手に入れていく、くらいしか私にできることはなさそうです。それはそれで、難しいのですけど。
ゆっくりとした生き方というのは、ゆっくりと必要なものを探していくという生き方でもあるのだと、勝手に解釈しています。
ということで、今日も雑多なお店の中で、いろいろなものたちとにらめっこの日々なのでした。